名古屋市の大部分は昔、海だったって話は聞いていましたが、名古屋どころか尾張全体、岐阜までずっと海だったとは!
こちらのページで紹介されている「猿投神社に伝わる養老元年(717)の尾張古図」です。地図はねつ造という説もあるようですが、だとしても面白い。
内陸なのに「島」って変なのって思ってた、津島、枇杷島などが、本当に島だったとか。
前に住んでた名東区の「猪子石」って地名はこんな時代からあったんだ!とか。
その猪子石と守山の間は香流川があって低地だけど、当時は入江だったんだ、とか。
そもそも、鳴海あたりの「あゆち潟」の昔の地形を調べていてこの地図を見つけたのですが、今の笠寺のあるあたりも、昔は島だったそうです。
鳴海(今の鳴海より北にある古鳴海)から笠寺観音、熱田神宮へは、海路が便利だったとか。
鎌倉街道その8
かつて、風光明媚な「あゆち潟」だった所は、南区〜港区あたりで、今では大きな工場が建ち並ぶ工業地帯になってます。
古地図を見てると、むしょうに、当時の風景を見てみたくなりますね。
タイムマシンができたら、絶対見に行くわー。
あと、自分の小さかった頃、昭和30年代にも、もう一度戻って、アスファルトで舗装してない道を、当時みたいに裸足にゴム草履で歩いてみたいです。
これが私の究極の夢だなぁ。
タイムマシンは生きてる間に実現しそうにないけど、もしかしたら死んで風になったら、行けるのかも?
コメント
この古図は信ぴょう性に乏しく各部に矛盾もあり、誰が何のために
描かれたものかも知れません。尾張の大部分が太古に東海湖や熱田海
であったことは否定しませんが少なくとも養老元年頃は縄文海進も終わり
寒冷期であり、現在の海岸線に近い状態であった(埋め立てによる
海岸の前進は考慮しない)筈です。
ネタモトのはっきりしないものを鵜呑みにして載せないように!