おとうさんのちず ユリ シュルヴィッツ (著)
内容(「BOOK」データベースより)
戦争で故郷を追われたぼくたちが命からがらたどりついたのは、夏は暑く、冬は寒い東の国。食料はとぼしく、土をかためた床の上で眠る毎日に、あるとき、おとうさんは…。1枚の世界地図がぼくにくれた魔法の時間。絵本作家シュルヴィッツが子ども時代を語る感動の自伝絵本。2009年コルデコット賞銀賞受賞作。
以前、Amazonで見つけて買った絵本です。
子どもより、大人が読んだほうがぐっと来るだろう絵本です。
私は読むたびにじーんとするし、毎回、こういう地図のようなものを作るのが使命だわって思ったりします。
絵本の最後のページは、簡単な自伝になっていて、
ワルシャワ生まれの著者が、4歳で空襲をうけて街が壊滅、ソ連支配下のトルキスタンに避難民として住んでいた時にこの絵本の体験をしたこと、当時はロシア語がぺらぺらだったこと、そのあとパリに移り住んで小学校に通っているときに、トルキスタンで見た市場の風景をマンガ風に描いた絵がコンクールで入賞したことが書いてあります。
著者はその後、イスラエルを経てアメリカに渡り、現在はニューヨーク在住だそうです。
日本にも空襲はあったし、戦後生まれの私も、戦争でもないのに生まれた時から引っ越しばかりしていて、故郷と呼べる土地がないと寂しい思いをしたものですが、
このポーランド生まれの著者が小学生の時、パリに住んでフランス語の授業を受けながら、遠いトルキスタンの風景をマンガに描いていた様子を思い浮かべると、ディアスポラ(離散)もスケールが大きいですね。
パリの住人からすれば、当時はこんなような、何人(なに人)か分からない難民がたくさん、同じ学校で机を並べているのが当たり前だったのかもしれません。ちょっと想像がつかない光景ですね(日本の小学校でも最近では日系ブラジル人の子どもが一定の割合で混じってるのは普通かもしれませんが)
もし日本が島国じゃなくて、中国や朝鮮半島と地続きだったとしたら、こうして戦乱のたびにいろんな民族が逃げてきて、村に住み着いちゃったりするのが当たり前だったんでしょうね。
さらに、日本より東に、アメリカより近くに何らかの大きな陸地があったとしたら、そちらに逃げていく難民が、日本の国土を通り過ぎていくのもまた、普通の光景だったに違いありません。
でも日本は島国で、しかも大陸の端っこのどんづまりだったために、良くも悪くも孤立していました。
だから、あっちへいってもこっちへ行っても、なんだかんだで日本人。
ワルシャワからいろんな国を転々としながらニューヨークに移り住むというような、放浪の人生を送る人は、ほとんどいなかったのです。
というわけで、私なんかも、国際標準に照らせば、「故郷はニッポン」と言ってしまえば済む話だなと、思ったことでした。
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