昔から組織が嫌いで、どんなに経済的に困った時も就職するのがイヤで、何がなんでも自分でやりたかった私は、協調性とか奉仕する気持とかがどこか欠損しているんだと、ある種の引け目を感じていたのですが、もしかしたらそうでもなくて、奉仕も協調もしたくないと思った理由がちゃんとあったのかも、と思ったのがこの記事。
マタハラ議会じゃ産めない(考 民主主義はいま):朝日新聞デジタル
先日来、議会での女性差別的やじが問題になってるけど、過去にもいろいろハラスメントはあった、という記事なんですが、これを読んで、もうすっかり忘れていたけど私も、最初の妊娠が分かったときには某企業に在籍していて、直属の上司から「困ったことしてくれたものだ。迷惑なんだよねえまったく」って言われたことを思い出しました。
もちろん他にもいろいろ女性蔑視的な言動はこの前にもあとにもいろいろ経験してるけど、人生で一番うれしく、しかも価値のある妊娠出産というイベントに際してのこのひと言ですっかりその上司にも会社にも幻滅し、出産前にさっさと退職して、以来、何があっても二度と企業に就職しなかったのは、年齢が高くなって採用してもらえなかったからとか、やりたい仕事がなかったからとかいう、いろんな理由からだと思っていたけど、それだけじゃなくて、実は、この時にはっきりと企業は私を都合よく利用したいだけで、本当に私の幸せを願ってはくれないということに気がついてしまったからかもしれないなって、ふと思いました。
いちばん最初の職場は公立の学校だったので、産休育休制度は整っていたしほとんどの人が利用していたけど、民間はぜんぜん制度の面でも意識の面でも遅れててダメ。って思ったものですが、上の記事を見る限り、今でもそれほど変わっていないようですね。
そりゃあ、職場でこういう扱いを受けると分かれば、有能な人ほど子どもを産むのをためらうよね。出産減=少子化だという当たり前のことがどうして分からないんでしょうね。こんな女性が住みにくい国は人口が減って滅亡に向かっても当然かと。
私はそれほど有能じゃなかったのでさっさと辞めて正解でしたが、少子化はどう歯止めをかけるんでしょうね。過去の事例では大きな戦争で人口が激減したあとに反動で人口の激増が起きたように見えるけど、これだけ大家族も消えて、7人も8人も子どもを産む風潮もなくなってしまっては、昔と同じようになるとも限らず。もちろん放置しておけば減少は確実だし。どうするんでしょうね。
私としては、人種にかかわらず、日本語を読み書きする人口があまり減らないように願うだけですが。
あんまり減ると、日本語の本の市場が縮まってしまいますからね。。
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