思考の現実化と、平和を思う生き方について

「思ったことや、イメージしたこと、特に強く視覚化できたことは、現実になる」
というのは、もはや願望実現方面では常識とされています。

そしてあの津波と津波後の破壊された街を見たとき、あるいは爆発で建屋がめちゃくちゃに壊れて白煙を上げている原発を見たとき、「どっかで見た」と思った人は多いはず。

過去何十年にも渡って、私たちは数々の小説や映画やテレビ番組の中で、何度となくこうした「世界の終わり」を見てきました。テレビの被災映像を見て、現実なのか、映画なのか、一瞬判断がつかなかった人も多いのでは?

確かに、そして恐ろしいまでに、視覚化した思考は現実化するようです。

視覚化されてなくても、心の深い所にある想念は現実化するという説もあります。
私は、さすがに津波や震災を願ったことはないけど(そこまで想像力が働かなくて)、平和な暮らし、安全に守られた人たちを見て、妬ましくて「みんな破滅してしまえ」と願ったことが、確かにあったなって、認めます。…自分が食べていけなくて苦しい時期には、ただ普通に生活している人でさえうらやましてくて、なんで世界はこんなに不公平で、私にばっかり辛い思いをさせるんだろうと、世界全体を憎んだ時期もありました。

今はなんとか小康状態で、まわりを思いやる余裕も出たけど、心の底から、世界の平和と繁栄を願っているかどうか確信が持てません。

世界が平和なのはいいけど、一部の利権を握った人たちがうまいことやってるから、安定してるだけでは?
世界が繁栄するのはいいけど、それも一部のうまくいってる人だけで、私が恩恵を受けられるとは限らないのでは?

ええと、わかりやすく言えば、まわりがみんな幸せな中で自分だけ貧乏で不幸なよりは、みんないっしょに貧乏で不幸なほうが、私は満足する。

というわけですね。自分のいる位置にみんなを引きずり下ろしたい衝動。
もしかしたら、破滅的な状態にいる人たちを見て、私の中の誰かが舌を出して笑っているかも…。

そうして考えると、今、起きていることもすべて、私が(無意識に)願ったことが現実化したのかもしれません。

奇妙なことに、ポジティブで建設的な願いより、呪ったり憎んだりするようなネガティブな想念のほうが、パワーが強い気がします。

こんなことを思っているのは私だけでしょうか。

どちらにしても、今回の出来事から、私が本当に気づき学ぶべきことは、心の中の状態や思いは、そのまま現実になることが、本当にあるんだってこと。
他の人はどうか分からないけど、私は間違いなく、そういう働きを自覚しました。

だとしたら、これからすべきことはただひとつ。

どんなときも平和を思い、成功や繁栄や幸せな暮らしをイメージの中に描くこと。

これから、日本の社会にはたくさんの議論や、政治的な変化や、覇権争いが起きると思いますが、「どんなときも」私は争いに与することなく、ただただ幸せを思い、幸せな気持ちで、暮らそう(できるかどうか自信ないけど)

そのことが、私だけでなく、まわりにも良い影響を与えると、その不思議な力を信じて。

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