今がいちばん楽しいです

第149回 佐藤 卓「”自分”を消してヒットを生み出す」) | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 を見ました。

東京芸大を出てアーティストをめざしていた佐藤さんが、はじめて企画開発した商品(ニッカウィスキー ピュアモルト : 佐藤卓の作品集) がヒットしたときに、「世の中が自分と共鳴した」と感じて、グラフィックデザインに目覚めた、というコメントがありました。

この感じ、分かるわぁ〜。

私が文章を書くのをやめられないのは、20代の頃に学級通信を書いている中で、文章をとおして自分の気持ちが伝わっていく確かな手応えを感じた経験があるからです。最初は義務として書き始めたんですが、その「伝わる感」の虜になって、いつしか個々の生徒を指導することより面白い学級通信を書くことが目的になってしまって、それじゃあ本末転倒であるということで離職したわけですが。

以来20年。いまだかつて、私は文章以外で、自分の本質が伝わったという確かな感覚を感じたことがありません。
どれだけ長時間いっしょにいても、どんな作業を共にしていようと、ブログなどで私の文章を読んでくれてる人でないと分からない「何か大切な部分」があるような気がしてなりません。

前のエントリーで書いた「常に発信したいと思ってる」理由は、この「伝わる感」をもう一度味わいたいからで、ある意味中毒なんですよね。

人間って、世界とつながってる感覚なしでは生きられないと思うんですが、「何をもってつながるか」が意外と大事だってことは、あまり問題視されていませんね。私は文章でつながりたいけど、つとむは筆文字で認められたいし、絵でつながりたいひと、プログラムのコードで表現したい人もいるというふうに、人はそれぞれ「こういう自分がほんとの自分」って思ってる大切なポイントを持っているので、それを度外視して、自分の都合のいいように操作しようと思っても、うまくいかないことが多いと思います。

私の特技のひとつに、他人のそういうポイントを高い精度で察知できる能力がある気がしますが、それは、長い間、自分自身のポイントを人に分かってもらえなくて苦しんだ経験によって培われた後天的な能力だと思います。

だって今でも私、あまり理解されてない気がするもん。
「えっ!どうして私にそんなこと言うの!」「まじ私に向かって言ってる?」って、びっくりするようなトンチンカンなフィードバックをもらうこと、多いですからねぇ。。はぁ(~_~;)

でも今日はもうひとつ、気がついたことがあります。

それは、自分が企画したプロジェクトがうまく動くとめちゃくちゃ嬉しい!…ということです。

一期一会の集いのことなんですが、好意的なコメントをもらったり、リピートしてもらったりすると、なんかこう無性にうれしいんですよね。なんでしょう、これ。
ほんとうのゼロから自分のプロジェクトとして企画したので、「いいね」って言ってもらうとまるで私自身のことを褒められたようにうれしいです。自分が主役じゃないのでもともと「自分を消して」いるからかしら…。

それにしても、いままで数々の勉強会を企画開催してきたけど、プラスのフィードバックをもらった時でも、こんなふうに自分が褒められてるように感じたことは一度もなかったです。いったい何が違うんだろう?

…よく分かりませんが、今までやっていたWEB系の勉強会は、右にある技術を左に伝える、みたいな感じで、内容的にオリジナリティに欠けていたかも。自分が提案したい何かがあって、それを披露できるような勉強会なら…たとえば私がプラグインの開発をしていて、そのことをみんなに伝えるということであれば、それはもうまったく違う、7色に輝く素敵な時間が過ごせたと思いますが。

WEB系勉強会は私にとって、しょせん、私でない誰かの技術を拝聴する場でしかないので、面白みくないったら身も蓋もないけど、正直、面白くないというか(汗)。ただ情報が手に入るっていうそれだけなんですよね。
そりゃあできることなら私はもっと、自分がフューチャーされるような集いをしたいけど、そういうコンテンツを持ってないのがツライところ。その意味でセカンドライフ関連のイベントはワクワク感が強かったなぁ。当時は、SLCOMという自分たちのコンテンツを持っていましたからね、まがいなりにも。

…なんか愚痴っぽくなってきましたが。
私は、自分の空想の中で考えたことが、まったくの無の状態から立ち上がってきて、実際に現実の中で行われて、それが確かに人に伝わる。そういうことがたまらなく好きなのです。
ポイントは、ゼロから作り上げるという所です。
とことん、前例のない、初めてのことが好きなんです。
前例踏襲しか能のない公立学校の教師などさっさとやめて大正解。今がいちばん楽しいです。

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