昨日、おとといと、2日連続で楽筆関係のイベントがあって、イベントの合間にも食事会とかミーティングとか細かく入れたので、スケジュールが過密。けっこう疲れました。
成功だったかどうかが、自分ではいまひとつ感じ取れないので、嬉しくも悲しくもないのだけれど、とりあえず終わってほっとしています。
小さなミスはあったけど、全体として参加者のみなさんには楽しんでいただけたんじゃないかなー、と思います。
今日は、イベントの内容ではなくて、それに至るいきさつについてちょっと書いてみたいと思います。
参加された方は、伊井先生のお話を聞いて、そのすっきりした理論とわかりやすい例え(原始人の脳とか)に思わず納得!ってなったと思うけど、この伊井先生との出会いは偶然でした。
・・・偶然?
たしかに偶然だけど、偶然が起きるまでのプロセスを考えたらけっこういろいろあったので、そのことを書いてみたいと思います。
まず、遡って考えると、イベントの立案に至るのにこんなプロセスを経ています。
ひとつの出会いに先立つ8つの出会い
時間をさかのぼって、つながりをひもとくと、こんな感じ。
下から読んでもらうとわかりやすいかと思います。
- 伊井先生のイベントに参加して名刺交換をして、その場でコラボイベントが決まる
↑ - 阿部さんがfacebookでシェアした伊井先生のイベントが面白そうって思って参加をクリックした
↑ - 阿部さんの仕事場がうちと近いのでメールで連絡して一度会った(※私は時間が合わなかったので、つとむが)
↑ - 晝田さんの、引きこもり支援関係のミニイベント@名古屋 をfacebookで見つけて参加して、阿部さんはじめ数人の方と名刺交換
↑ - 晝田さんが岡崎で開催したプレスリリースの書き方講座に参加した
↑ - 隣の市で畔柳さんという人がやっているCodaDojoを見学に行って、畔柳さんとお話しする中で晝田さんという人の存在を知る
↑ - 教育関係のレポートとして以前から数人の知人がかかわっているCodaDojoの取材をはじめる
↑ - 橘川幸夫さんのイベント@京都に参加、教育関係の分科会に入ってやりとりをはじめる
↑ - facebookか何かで橘川幸夫さんの新しいイベントの呼びかけを見て申し込む
実に9つのステップがあったことに気がつきます。
最初のステップの橘川さんのイベントに参加したのは、去年だったか、おととしだったか…
そのとき、私は、橘川さんという方を存じ上げなくて、共通の知り合いからの紹介とかもなくて、何をやるかも知らないままひとりでふらっと参加したものでした。 そのとき、私の心境は、今やってる仕事が煮詰まって、なにかまったく新しいところに身を置かなくちゃ、という危機感というか、閉塞感でした。
つまり、橘川さんのイベントに参加した時点では、ここへ行ってそのあとどう展開して…という見通しはまったくありませんでした。
それがなぜ、脳科学と心理学ワークのイベントに繋がったか、というと、私の中に常時危機感があって、何か新しいことをはじめなくては、そのためにはなにか、自分が今持っているリソース(販売とか教室とかWEBとか…)を利用してはじめられる何か新しいこと…と模索していたからです。
常に「何かしなくちゃ」と模索するその衝動に従って、連想ゲームみたいに次々と、微妙に内容を変えながら、人から人へと繋がって、ひとつのイベントに結実したという、そういう流れです。
それぞれのステップでもっと他の人にも出会っていて、結果を生んだものもあるけど何も産まずにそのまま消えているものもあります。けれども未来に何かきっかけがあったとき、その、一見無駄に見えた出会いが、突然、意味を持つ。そんなこともあるかもしれないし、ないかもしれない。
そんなふうにして、人のご縁は繋がっていくのだなと。思います。
意図をもって能動的に動く
しかし、ひとつ、重要なことがあります。
ほとんどのプロセスで私は能動的で、自分から何か意図や課題をもって動いているということがお分かりでしょうか。
たとえば、ステップ5でプレスリリースの書き方講座に出たのは、つとむの楽筆をマスメディアに載せたいと思っていたからです。
ステップ6でひきこもり支援の勉強に行っていますが、これも、つとむの楽筆の多方面展開のひとつにひきこもり支援ができないか情報収集が目的です。その時点で(今もですが)一般の人以外への展開の可能性を頭の中で模索していたので、ぼんやりfacebookを見ていてこのイベントに気がついた、という事情です。自分の中に課題を持ってなかったら、そもそもイベントの告知が目にとまらなかったはず。
出来事をこうして矢印でつなぐと、あたかも、すべてのステップは今回の出会いのためにあったように見えますが、実際はそうではなく、それぞれのプロセスで別の出会いもあり、それぞれに新しい企画が立ちあがったりもしています。つまり 因果関係は後付けで、どこを起点に見るかによって変わります。
未来のある時点において振り返ればつながりが分かるけど、未来は常に見えないので、今していることが未来でどんな展開に繋がるかはまさに、神のみぞ知る。
その不確定な未来に何か意味あることを起こすのは、私の中にある「意思」や「願望」だと思ってます。
単に、誰かに会えば何かいいことが起きるだろう、という姿勢でいる間は、何か利用してやろうという人しか近づいて来ない、というのは経験的に言えることです。
あとよくあるのは、どこかへ行って、有名人にあって「この間、こんな人に会ったよ」と話す例。
有名人に会った、ではなくて、その人にどういう提案をしてどういう成果(新しい何か)を作れたかが大事でしょ?
価値ある活動というのは、新しい価値を作り世に還元する、ということなので、相手が有名かどうかは関係なく、どんな新しい価値を作って世の中に出したか。そこでしか意味を持たないと、私は思います。
というか、私が仕事に見いだす意味はそういうこと。つまり、価値の提供。
すべて、そのひとことに尽きるかな、と、ここまで書いてきて思いました。
意外とシンプルですね。
原始人の脳に支配されていたわたし!!
しかし今回、話はここで終わりません。
常にそんなふうに、能動的に動いている私を見て、まわりの人は「IKUKOさんてすごいね」「活動的な人だね」と思ったりするわけですが、実際には、私は精神的にへとへとです。
理由は、常に行動の動機が将来への不安、仕事への不安だからです。
今回、伊井先生のACT療法の視点を知って、私は気づいてしまいました。
「その不安は私の原始人の脳が発している!!!」
私はきっちり考えてベストな行動を取っている、と思っていたのですが、実は原始人の脳から出る不安信号にコントロールされて、恐怖に突き動かされてやみくもに行動していた。行動レベルでは間違ってないけど、心理レベルでは全然自由じゃなくて、不安から逃げたい一心。常にfight-or-flight(闘争・逃走反応)。 常にパニック状態、常に火事場の馬鹿力で突破を繰り返す。
そんな暮らしを続けていたら、いつかプツンと切れて当たり前。
で、今回のマインドカフェ@大須 の学びを生かして、これからは、危機感からではなくて、
「なんか楽しい♪」
「好き!」
という、自然な気持ちを動機として仕事をしてみたいなーと、思います。
つまりですね、
このところずっと、楽筆心理ワークを考えるために、たくさんの本を読んだり、勉強会に参加したり、実際にワークをしたりしていたのですが、だんだん、仕事としてのワークではなくて、ワークそれ自体が楽しくなってきちゃったんですね。
それが何に役立つかとか、いくら儲かるかではなくて、単に、自分が好きだから学ぶということ。
それができるようになったというのは、自分の成長だし、ついにfight-or-flightから我に返って、本来の自分の生きたかった道へ戻る時期が来たのかなと、そんなふうに感じてます。
それがどんな道って言われると具体的にはあれですが、たとえれば、お花畑みたいな人生、とでも言いましょうか。
蝶よ花よで生きて何が悪いんでしょうね。私が楽しければそれでOKですよね!
ではまた!