Netflixに「ER」があるのを見つけて、シーズン1から15まで全部、一気見していました。
全部見るのにどれくらいかかったか覚えてないけど、毎日、暇さえあれば見て、夜寝る前はかならず2話くらい見て、ERの世界に住みながら、こっち側の現実を生きる、みたいな感じになっていました。
この感じが、好きです。
でも当然ながら、長いシーズンのドラマでもいつかは終わるわけで、また流浪の民に。
こういう、あっちの世界(お話の世界)がほんとの居場所でこっちには居場所がない、というのは子どもの頃から感じていて、記憶をたぐっても、どの世代のときもいつも孤独だったなと。
まあ、常時転校生だったので、そのせいだとは思うけど。
で、さっきたまたま、2010年頃のこのブログの記事を見ていたら、こっちの世界に居場所がない感じが、書いてあって、ああこういうことあったなーって思って、面白かった。
【本】5次元へのシフト「新・光の12日間」/ゲリー・ボーネル
ところで話が飛びますが。
筆文字に関しては、ひとつ妙な現象があります。私がオン・オフの区別もなく人に会い・探して・見つけて・セッティングして・段取りして・耕望に来てもらったりしてさぁ話を進めましょってなったときに、
「わぁ!つとむさんの筆文字素敵。ぜひいっしょに何かしましょう!…で、IKUKOさんは何をしているの?働いてないの?」
っていうように、「へっ?」と思うような意味不明な反応をいただくことがあります。もちろん全員がそう口に出していうわけじゃないんだけど、感触を感じることは、ままあります。
どうやら世の中には私を目の前にしても、私の存在が見えない人が、けっこうな割合でいるようだというのが、起業3年で気がついた不思議現象です。
最近は、筆文字ほぼリタイア状態だし、実際に、まったく関係ない仕事にパートで行ってるので、まさしく「IKUKOさん、何してるの」状態で、今ならそう言われても違和感ないのですが、ほんとうにがんばっていた当時、こんな扱いされてた自分が、可哀想。
今はもう自分のやりたいことしかやっていないので誰に何を言われようと構わないし、そもそも、誰が何を言っているか興味ないんで、聞こえてもこないです。
2010年当時の私は四方八方に気を遣い、常にまわりに気に入られようと必死でした。
多分、当時の私のほうが、世間的には「いい人」だったと思うけど、涙ぐましい努力が誰にも理解されてなくて哀れです。
今はいろんなことから自由になって、幸せ。
それに、そうして誰にも理解されず、それでいて逃げ道もなく、ひとりで努力し続けていた時に得たものがあって、それが今の私を支えているので、当時は確かに辛かったけど、あれがなかったら今の平安はないと思うので、ほんと、過去の自分には、がんばってくれてありがとね、と言いたい。
ところでこのゲリー・ボーネルという人の本を私は読んだのだろうか。
まったく記憶がないけど。
でもきっと情報は吸収されて、身体のどこかの細胞に記憶されてるんだろうね。