【今日のぼやき】SEOとか、SEOとか、小説とか。

最近、ほんのわずかながらアクセス数が増えつつある、ような気がする筆文字サイトですが、まあ、相変わらず数字的には競合他社さんの10分の1くらいですw

この競合他社というのをどう定義するかも、微妙なのですが、そもそも他社というのはほぼほぼ、雑貨の製造あるいは卸の会社さんで、扱う商品の種類からいうとうちの10倍、20倍の商品を持っているわけ。そりゃそうですね、うちには筆文字の額しかないけど、他社さんには、テディベアから時計からお酒から湯飲みから、あらゆるブライダル贈答品が揃っているのが普通。会社の規模も社員数も売上の規模も桁違い。WEB専属の社員を複数かかえてるし、広告だっていっぱい打ってる。

こういう相手を単純に「競合」ととらえて真似したり対抗したりせよと言われても、ねー。

ある特定のキーワードで検索したときに、うちの競合になりうるというのは確かなんだけど、事業として競合しているかどうか、いまひとつ、どう考えたらいいかよくわかりません。

個人で教室や個展をやって、ブログを書いて、そこから注文をメールでもらって販売している書道の人はいっぱいいるので、ビジネス的にはそういう人がライバルであって、社員数十人とかの雑貨製造卸業者さんなんか、ライバルでもなんでもないと、思いたい。。

でもGoogleの検索結果はそういう規模の違いなんか関係ないので、やっぱり、相手が大きくても競合と呼ぶのでしょうね。。

しかし一番の問題は、めざすキーワードで上位に出ていても流入が少ないってこと。
筆文字の贈答品ってものに対する日本国民の「熱量」がそもそも低い。
iPhone6S、とかいうワードとはポテンシャルが違うのです。
結婚しようというとき、あるいはいろんな記念日のプレゼントを探しているとき、筆文字で書いた額を思い浮かべる人がいったい、世の中にどれだけいるでしょう。

普通だったら思い浮かびもしない。

…と、問題の本質はそこなんじゃないかと、正直思ったりもするけど…

とはいえ、
定点観測をしていないので確信はないけど、最近、関連キーワードで検索するとうちのショップが1ページ目、2ページ目、あるいは…とにかく10ページ以内に表示されてるのを見ることが多くなりましたので、これは多分、春先からやっていた作業のなんらかの施策がなんらかの刺激をGoogleボットに与えて、以前に比べれば多少、サイトを更新したことに対してGoogle本体が反応するようになってきてるんじゃないかと。それで順位がぽんと上がるわけじゃないけど、少なくとも何かを変えると何かが変わる、そういう感じがしてきました。

ログも見てないので、Googleのクローラーがどれくらいの頻度で来てるかも知らないんですけどね。

でも、こういうレッドだのブルーだのいう前に波打ち際が後退して干上がった砂地みたいになってるところでSEOをしている場合は、普通のSEOの本に書いてあることは半分以上、実行不可能だし、やっても意味がないように思います。

もうあんまり競合他社とか関係なくて、自分たちのできることをとことんやるしかなくて、独自のワールドを、まわりなんか見ずに、勝手にどんどん創り上げてしまったほうが面白いというか、結局そうするより他に選択肢がない気がします。

それでまあ、商品の展開についてはまだ工夫の余地があるので、どんどんアイデアが湧き出るわけですが、WEBサイトの対応が間に合いません。さすがに最近、グラフィックのデザイナーさんがひとりいてくれたらなーと、思います。
作らなきゃいけないページやバナーがいっぱいあるんだけど、イメージしたように作るのはたいへん。


ところで。
先週の金曜日はこちらのセミナーに参加してきたのですが…

TIC EBook研究会(2015年9月11日)講演会 | TIC
鷹野凌さんの「セルフパブリッシング(自己出版)ムーブメントの現状と可能性」

うっかり30分も遅刻してしまったこともあって、セルフパブリッシングの知識はほどんど増えず。
そのあとの懇親会で、N先生が副業(?)で電子書籍の出版プロデュースをされてるってコトを知り、5万円お支払いすれば校正から出版代行まですべてやっていただけるって話を知って、「じゃあお願いすればよくね?」と思った自分でした。

もはや自分の中に、何がなんでも文筆業で食っていくというようなガッツもなければ覚悟もない。
今さら新人賞レースに参戦して勝ち残り、デビュー後も売れる本を書くためにゴリゴリがんばろうなんて気は、じつはさらさらない、と気がついた瞬間…(¨;)

一度気がついてしまうと逆に、なんだって自分は今まで、何がなんでも小説を書かなくちゃいけないって思い込んでいたんだろう。それ誰の、何の刷り込みだったんだろうって、ちょっと目が覚めた感じです。

まあ、そう言いつつもまたそのうち書きたい虫が出て、面白くもない小説をめちめち書き始めるんだろうけど。

でも今度書くなら、新人賞のための傾向と対策じゃなくて、自分のリズムで、そのお話にふさわしい長さで、自由に書いたほうがきっとラクだし楽しいし、そもそも小説ってそうしてできていくものだろうと思うし、私ももう、故郷の海に帰って自由に泳ぎまわろう、と、ちょっと何のたとえか自分でも分からないけど、そう思うようになりました。

まあ、つまり、出版社やら選者やら読者やらに選んでもらえるようなものを書こう、書かなくちゃ、それのためにはあれしてこれして…というのはもううんざりってことですね。苦しいわりに、うまくいかないしね。

なので、あれこれをリタイアして、もう勝手にやりたい。

すでに仕事がそういうふうになっているのと同じに、小説だって(もし書くならだけど)自由に書きたい。ジャンルとか競合とかそんなの知らない。小説の中のことは小説の中のこと。出てきたい人物は出てくるし、出てこない人は出てこないんだし。

…とまあ、そういう感じで。

子どもの頃からずっと、外面は優等生で、周囲が期待するように振る舞っておくのがいちばん波風が立たなくてラクって思って、そのように振る舞って今まで生きてきてるんだけれども、仕事にせよ趣味にせよ、結局それではただ周りの人にとって都合がいいだけ、自分はなにも得られない。

自分で思ったように好きにやるということのほかに、この世に生きる道なんかなかった。
周りの人の言うとおりにやっておけば間違いないっていう、そっちのほうが幻想で。

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