【読書】僕たちは戦後史を知らない / 佐藤健志:戦後は遠くなりにけり

先日ニコ動で見た佐藤健志さんの本を一冊買ってみました。動画の元になったのは「国家のツジツマ」のほうですが、まあ、内容は動画と同じだろうと思ってあえて違う著作を買ってみました。もちろん中古で。(^^ゞ

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まずタイトルの「僕たち」って誰よ、ってことですが、著者は1966年生まれで、私より6歳下ってことは、もうじき50代。なのでおそらくそれ以下の年齢の人、つまり戦後の日本の様子を知らない世代が対象と思われます。

著者の主張は「国家のツジツマ」同様、日本人が「敗戦」の屈辱を正視できずに自由主義ばんざい的なファンタジーに置き換えてしまったって話で、1970年代までの日本人のメンタリティーはそれでよく説明できるように思います。

ただそれを過ぎて80年代からバブルを経て90年に入るとさすがに、敗戦も占領も過去の話な気がして、21世紀までこの切り口でひっぱるのは無理な感じがします。

まあ、昭和のうちは確かに、世の中全体が戦後の続きって感じだったけど、今や戦後も終わり、新しい世界秩序に向かって、日本もなんらかのスタンスを取らなくちゃいけない状況に、いよいよ追い込まれたんじゃないかなーと、私には思えます。

つまり、私が子どもの頃とは、はっきりと、時代は変わったのだと。

ちょっと話は飛ぶけど、昨日たまたま、某児童書の新人賞の結果発表を読んでて、審査委員の講評の中に
「応募者の年齢が高くて60代が若く思えるほど」と書いてあって、へー、そうなんだ、と思って読み進めると、、
「応募作に新鮮味がなくて、不作すぎる」
「児童向けじゃないものもある」
「過去の応募作をよく読んで、傾向と対策を研究せよ」
と続いているのを見た時、瞬間的に
「審査員が傾向と対策を求める時点で、自分たちの枠に収まるものしか探してないってことだし、みんなが枠に収まるものしか書かないから凡庸な作品しか集まらないんじゃないの?」
「そもそも応募者が平凡なのは、コンクール自体に魅力が乏しいからでしょ?受賞すれば朝刊の広告枠に載って、書店に平積みされるような賞なら若くて才能のある人がこぞって応募する。作品の不作を応募者のせいにするなんて本末転倒だわ」
と思う自分がいた。

そんなふうに思う自分に、自分でびっくりしたけど、ほら、よくあるでしょ、思わず本音がぽろっと出ちゃうって時。

それで、そんな賞にかすりもせずに落選する自分は全然ダメなんだけど、それ以前に、権威を認めてもないような賞に無理くり枚数を合わせて応募するっていう時点で自分はたいがいなアホだなと思って、ちょっと根本的に考えを改めないとな、と思ったのでした。

それと同時に、いつのまにか社会は変わって、現役の編集者や作家も、昔取った杵柄では通用しなくなってるんだなってのも、けっこう前から言われてはいたけど初めて、実感として思った。

私は、いつかは私も本を書いて作家になるんだ!…という子どもの頃に思い描いた未来を今も追っているわけなんだけど、いつのまにか、昔はあったかもしれない理想の世界みたいなのは消え果てて(あるいは最初からそんなものなくて)、そんなの虹を追って走ってるようなもので、いつまでたっても追いつくことはないのかもしれないな、と、初めて現実を見た思いです。今まではなんど落選しても、それは自分の実力がないからで、努力すれば成長できる、とか、そういうふうにしか思っていなかったので、成長したさきに頼れる権威があると思ったら「なかった…!!」みたいなことは想定していなかったのです。。。

書くことはとても好きだし、中でも、本を書くことはこの世でいちばんやりがいがあることだと今でも思うけれども、だからと言ってなんでもいいから書けばいいってもんでもない。

やっぱり、お話にはお話の存在意義や真実ってもんが必要よね…。

…で、
テレビは録画できなくてゲームもない。少女マンガがようやく少し出てきたくらいで、とにかく本を読むしか娯楽がなかった私の子ども時代みたいな状況は、今や、どこを探したってありはしない。
だから、昔の自分が喜んで読んだようなものを、今の子どもや若い人に読ませようとするのは無理なんだ。ほんとに時代は変わったんだなー。と、ここで『僕たちは戦後史を知らない』の話につながるわけです(^^ゞ

大人たちが敗戦だ、平和憲法だ、社会主義だ、いややっぱり資本主義万歳だ、ジャパンアズナンバーワンだ!…とか言ってるうちにバブルははじけ、そのあとに生まれ育った世代が今の「若者」。
明らかに、価値観もノリも違うし、求めてるものも違う。
見てきた風景が違う。

これからの若い人にどんな物語が必要か、私には分からない。

ただ、人間はストーリーなしでは世界を理解できないと佐藤健志さんは言う。

だとしたら、大きな流れとしては、平和憲法の夢から覚めて紛争があれば武力で決着をつける世界を選ぶことになるんじゃないかと思う。その他の選択肢が思い浮かばない。
軍隊を持たないで平和を実現している国なんて、この世にないから。

もし、フィクションの力で、そういう戦争のない架空の世界をリアルに描くことができて、そういうものがたくさん、ちまたにあふれて、若い人たちの心にも「そういう世界、いいなぁ」とか「それ、ありかも」という思いが浮かぶくらいになれば、また、話は違うかもしれないけど、不幸にしてそういう「戦いを回避して平和を実現するにはこんな方法がある」とか「戦わないことこそがすばらしい」というエンタメ小説や映画が大ヒットした例が、思い浮かばない。

今日は話が飛躍して、とっちらかっていますが、結局のところ、今、問われているのは「戦うかどうか」って、ことですよね?というお話し。

国家のツジツマは、これからどういう物語によってあわされていくのでしょうか。

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