【妄想劇場】着ぐるみと神社

今朝、ぼんやりテレビを眺めていたら(うるさいので音を小さくしてるので、ほんとうに眺めてただけ)、ふなっしーの納豆版なのか、茶色くてジャンプするとぐーんと伸びるタイプの着ぐるみが、どっかの立派な神社で、ちゃんとした大人の人たちにまじってお祓いをしてもらっていた。

神社が立派だったぶん、文化祭のはりぼてみたいなその納豆のやつが、安っぽくて、まあ神様も地に落ちたもんだと思ったんだけど、次の瞬間、逆かもと思い当たった。

お金をいっぱい集めて立派な建物を造って、これはほんとにありがたいもので、粗末にするとバチが当たるよって、多分千年以上に渡って、貴族から平民まで日本国中の人が言い続けた結果、どんなエネルギー体が御利益をもたらすのか科学的根拠もないまま「ありがたいもの」になってるやつと、それは人間が中に入ってるのは言わないお約束だけど、かわいいから好きっていうやつの、どこが違うのかと。

着ぐるみは「おもちゃ」みたいなものだけど、神社や神道だって、大きすぎて真贋さえ問えないレベルになっただけで、その本質はおもちゃみたいなもの、つまり、参加してるみんなでそれを「何か」だということにして、それを使ってあそぶツールかもしれない。

…。

この間、大好きだった猫のピノが死んじゃったことを書きましたが、その日、私は午前4時に、彼がいくところに立ち会って、その瞬間、彼が何かを脱ぎ捨ててあっちへ行ったように見えました。

ちょうど私たちが、身体にぴたっと密着した、たとえばきつきつのウェットスーツみたいなのを、Tシャツを脱ぐみたいに脱ごうとしたら、必死にひっぱって、身体もよじって、むぎゅ〜ってやって、すぽっと脱げたら解放感があって、「あ〜やっと!脱げた!」って言うでしょ?

ちょうど、そんな感じだったんです。
最後に「脱ぐ」時はほんとに苦しそうだったけど、そのあと、すっと静かになったのを見て、なんかそういう脱ぎ捨てた感じがして。死んだ「あと」というものが、目に見えないけどあった気がして。

それで、もしも、ほんとうに、そういう「あちら」があるとしたならば、じゃあ逆に、この目に見えている世界って何なんだ?ということになり。

この世界って、命って、なんだろう?
目に見えている猫が、本物だという証拠はどこにある?
それは、猫という着ぐるみをきた目に見えない何かではない、という証明はできるのか?

ふなっしーの中には人間が入ってるけど、
神社と猫は、中身が透明かもしれないでしょ?
透明な中身(神様?)が入っていないんだったら、なぜ神社が尊いの。
神社が尊いなら、猫の(あるいは人間の)中にはいっていた何かも、同じように尊いのでは?

と、いう具合に、
どうしても証明できない、目に見えない何かが「ある」と仮定した瞬間に、この世のぜんぶについての見え方が変わるという…

それで、
も・し・も、「死」というものが、この世の終わりではなくあの世のはじまりで、しかも実存なのはあの世のほうで、この世が「胡蝶の夢」にすぎないということが、証明されたら!!

そうしたら、全部の意味が変わります。
ISILのやったことも。
戦争で起きたことも。

…個人的には、すべての人は理由はともかく全員死ぬし、死んだら恨みは忘れる(脳がないので…)けど、生きてる人間は生きてるかぎり覚えてるので、きっと、殺された人より、殺した人のほうが、ながいあいだ苦しみつづけるんじゃないかという気がしますが、それもまた、証明はできません。


えー…、昨日、ありがたくも、物をなげて暴れたいくらい腹立つことに遭遇し、おかげさまで、今後のこととかいろいろはっきり明確になりまして。

んで、そのついでに、こんなクソみたいな生活はどうして起きたのか、今も続いていることに何の意味があるのかと考えているうちに、気がついたら話がすり替わって、上のようなことを夢中になって考えておりました。
とさ。

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