日記を読み返して。

当面、どうしても見たい映画やステージもなく、読みたい本もさほどないので、メリハリのない生活をしていますが、それでもなんとか生きてます。

さっき、ローカルでつけている個人日記(マル秘)を読み返していました。
2007年の7月から始まっていました。
それはすなわち、同年6月14日に会社を設立した直後で、なぜ当初WEB関連業務をメインにと思って設立したのを筆文字専業にしようと心を決めたのか、忘れていた出来事を思い出させる日記でした。

くわしく書けないし、今となってはどうでもいいような、そもそも引き受けたアタシがアホだったという話なんだけど、当時は本当に悔しくて悔しくて、もう誰も信じられないって思うくらいの、イヤな出来事があったのでした。

だけど、ものすごーくイヤな出来事があるたびに、ひとつずつイヤなことをやめて、方向転換してきているので、私の人生の質としては、不純物がどんどん除去されて、どんどん澄み渡って、すがすがしくなっていってるというのがおもしろいところです。

これが、ものすごーくイヤじゃなくて、我慢できる程度のちょっとしたイヤさ加減だったら、なかなか切り捨てることもできず、ずるずると仕事やおつきあいを続けているでしょうから、そうならなくて本当に良かった。

今までアタシにひどい仕打ちをして、激怒させた相手のみなさん。
ありがとう、あなたたちのおかげで、今あたしは猛然と幸せです。

そして多分、あなたたちがしてくれたことがきっかけで、私にとって不快でおもしろみのなかった仕事をやめることができ、その結果、別の仕事での、別の成功の可能性が出てきて、それはそれでまた、すばらしいとしか言いようがありません。

そのときはどこからどう見ても完全に「悪い」と思えた出来事が、その後の展開からさかのぼって考えると、絶妙なタイミングで方向転換をさせてくれた「奇跡の出来事」であったことに気づく。
人生の大逆転は常に起きているということですね。

意外に大事なのは、そういう、耐えられない・やってられない・ありえないような不快な出来事に対して、なんら対策をとることなく「ただ耐える」という選択をしなかったところだけは、アタシ自身のひとつの「才覚」だったかな、とは思います。

世の中を見渡すと、ものすごく自分を否定されて尊厳を蹂躙されたと思っても、仕事を失うのが怖いので何も言えずにただ耐える場合が多いようですから。
不幸なことです。
ただ耐えて、時間をやり過ごして、そして貴重な自分の人生時間を浪費していくというのは。

幸福か不幸かは、本人の主観によるので、外的要因でははかれませんが、
私にとっては常に、自由に発言でき・自由に発想でき・思ったことをそのまま実行できる環境、それこそが、私の人生って思います。

さて本日は映画「リンカーン」の公開日だと思いますが、見に行くとしたらこの「リンカーン」かな、と思っています。いつ行こうかなぁ。ちょっとネットで評判を見てから、行くかどうか決めようと思ってます。

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