放浪しようが定住しようが「利益」を出すのが仕事の基本

ネット上でたくさん見かけるようになった「ノマドワーカー」なる言葉について、私はタイトルのように考えています。

利益を上げられるのであれば、自宅だろうが職場だろうが街中のカフェだろうが、どこででも働けばいいじゃん?
ノマドかノマドじゃないかが、なぜそんなに大きな問題なのか、理解できません。

というのも、自分自身が30歳直前で公務員をやめて、専業主婦だったりフリーランサーだったり会社経営者(?)だったりして、時間の使い方も場所も「自由」であったので、すでに、ノマド当たり前。むしろ決まった時間にどこかに「いなくてはいけない」生活こそ信じられない!!…と思っているからなのですが。

しかし、ほんとうのノマドというのは、そんな仕事の作業場所みたいな表層のことじゃなくて、国家や団体に精神を縛られず、自由に発想し、振る舞う人のことを指すんじゃないかなーと思います。

特に、その昔、浅田彰の「逃走論」で語られた「ノマド」は、もっと大きな権力とかそういうのに対しての「自由」を言っていたような印象があるんだけど、違ったでしょうか。
もはや、いまさら読み直そうという気力も体力も時間もないので、放置しますけど…。

権力からの「逃走」という命題は、私よりちょっと上の村上春樹世代が根源的に感じてる問題のように思います。

昭和の高度成長時代の申し子である私たち世代は、長いものには巻かれ、適当にやりすごし、うまい汁を吸い、楽して暮らすのが理想で、団結して立ち上がり、権力と闘うなんて考えないことにしているのであります(…っていうのは私だけかもしれないけど)(・・;)

と、難しいことを書きましたが。

今、生活の中で懸案となっているのは、宝塚の宙組の東京公演の千秋楽のチケットが取れるかどうか、です。
先行予約で申し込んだんだけど、トップスターの大空祐飛の退団公演のため、千秋楽は1人1枚しか申し込めませんでした。
なので、次女とふたり分の座席が確保できるかどうか、微妙なのであります。
もし、ふたりとも外れたらあきらめるんですが、片方当たったら大変です。一般発売で再トライして、もう1枚確保しないと、いっしょに見に行けません。

無理せず千秋楽ではなくて、2枚同時に申し込める他の日程にしたほうが良かったかも。
とか、あれこれ考えていますが、どうなることやら…。

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