【ノスタルジー】昭和45年の住宅地図で自宅を見つける

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小さい頃、さすらいの転校生活だったので、あちこちに住みました。
その中で、小学校の3〜4年の頃に住んでいた家は、実際、どこにあったんだろう?と、常々、知りたいと思っていました。
それ以前に住んでいた大府の家の跡地は、一度、見に行って特定できたし、次に住んだ守山の家の跡地にはその後、親戚の会社の社屋が建ったので正確に場所が分かります。
でも、この名古屋市西区山田町の家は、区画整理で地名が変わってしまって、正確な位置を見つけられなかったのです。

それで昨日、ちょっとついでがあったので鶴舞図書館へ行って、古い住宅地図を出してもらいました。
すると!地図の中にうちの父親の名前を発見しました。
その家は借家で、2年ちょっとしか住んでいなかったんだけど、よくまあ名前まで調べて書いたものですね。ゼンリン、すごい。

帰宅後、工場や病院などを目印に、この住宅地図を現在のGoogleMapと見比べたところ、なんと、以前住んでいた家のすぐ北側を、名二環の高架が通っていたのでした。
私が住んでた頃はまるっと田んぼだったのに。
ていうか、田んぼばかりだから、名二環の用地に選ばれたんだろうな…。

春にはれんげの花を摘んで、水路には「せり」が自生していた、懐かしい風景は、今や、すっかり消えてしまったようです。

しかしながら、GoogleMapの写真によると、どうやら当時住んでいた借家の建物は、そのまま残っているようです。
屋根しか見えないので、まったく同じかどうかは分かりませんが、当時よくあった二軒続きの長屋みたいな、平屋の借家です。

このあと、私たちは、さらに田舎だった守山区に土地を得て、あこがれの一戸建て(両親にとっては)を建てて引越しました。
子どもだった私は、せっかくできた友だちと離れるのが辛くて、家なんかどうでもいいから、引っ越さずにここにずっと住んでいたいと思ったものだけど、今、大人の視点で考えるとやっぱりこの家は小さすぎるので、二階建ての家に引越したのは正解だったかな…と思います。。

まあ、どちらにしても、当時は(あとになってみれば)高度経済成長のまっただかなで、郊外をどんどん開発して住宅にしていましたからね。住み始めた頃は道路なんか舗装してない赤土の道で、雨が降ったら水たまりがいっぱいできて、それを飛び越えながら長靴で歩くのが楽しかったような、何もない時代でしたけど、小学生なりに自転車であちこち走り回って、見て、感じた風景は今も懐かしく記憶に残っています。

機会があったら、西区にも、守山区にも、そして、ほんの半年しか住まなかった小牧の町にも足を運んで、懐かしい痕跡が残っていないか、探してみたいものです。

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