いにしえの松巨島(まつこしま)が地図上に出現!

偶然、面白い記事を見つけました。
自分が住んでいる町の海抜地図をgooglemapで見る方法:中小企業診断士ブログ/遠田幹雄

古地図フェチな私。
さっそく名古屋の地図を表示させていろいろ試した結果、海面を7メートル上昇させてやると、万葉集に「年魚市(あゆち)潟」の歌が詠まれた頃の海岸線が出現!


参考URL:Flood Maps

現在の名古屋城は、関ヶ原の合戦後に、徳川家康の命令で清洲城に代わる城として築城されたものですが、なぜ、今の位置に作られたかがよく分かります。
今の位置がぎりぎり台地の西端だったからですね。
信長時代に発展した清洲は海抜が低くて洪水に弱かったため、この名古屋城とそのまわりに人工的に作られた城下町に、清洲の人々は移転させられたのだそうです。いわゆる「高台移転」というやつか。。

この図は島の形をくっきり浮かび上がらせるために海面を7メートルも上げているので、江戸時代の海岸線はもうちょっと南寄りだったと思いますが、江戸時代の絵図を見ると、名古屋城から大須観音あたりまでがいわゆる「名古屋の町」で、その周囲のエリアは、名古屋ではなく「なんとか村」という周辺地域って感覚だったようです。

それにしても海抜は正直ですね。
開発で外観は変わるけど、地形そのものはあまり変わらないんですね。

しかし、名古屋周辺は、海面をゼロメートルに設定してても、水色に表示されるエリアが広いんですけど。
津波怖い。

飛鳥時代かもうちょっと前か時代はよく分かりませんが、古くは、名古屋どころか今の岐阜あたりが海岸線だったという絵図もあって、その絵図では「津島」「枇杷島」など、今では完全に内陸な場所が、ほんとうに島として描かれています。

濃尾平野は全体に海抜が低いんですよね。
マイホームを建てるときは、ぜひこの地図でチェックしてから〜♪

コメント

  1. karabasara1948 より:

    伊勢湾台風時の浸水地域はすべてこの古地図のようでした。

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