Facebookにはいっぱいいろんなアプリがあって、ソーシャルグラフを自動で作ってくれるアプリもあります。今日、お友達が公開していたそれが面白かったので、自分でも作ってみました。
あまり詳しく説明できないんですが、中央にいる「私」と直接、線で繋がってるのは、いわゆる「お友達」。申請しあって友達になった人たちです。
で、その友達同士も互いに友達かもしれないので、それを調べてお互いの友達関係も線で結ばれています。
その他にも、身内とか関係の深い人は近くに(あるいは大きく?)など、いくつかの基準に従って色分けされて、このような図ができます。
私の場合は、かなりくっきり3つのグループに分かれています。
左下(赤)ビジネス系…ビジネス目的の交流会とかの関係者。自分のネットワークを広げるために、友達の友達に無差別に友達申請を出す人が多いので、見知らぬ人がいっぱいいます。一番大きいグループだけどリアルな知りあいは多分、ほんのわずかしかいないはず。
上(水色)オープンソース系…主に名古屋で、OSCとかWordPressとかの勉強会でよく会ってる人たち。リアルな知りあいが多いです。
右下(黄緑)(紫)セカンドライフ系…セカンドライフで知り合った人たち。この人たちがTwitterやFacebookを始めたから私も始めたので、ここがすべての発信源。もちろん全員、誰だか知ってるけど、アバター名とそのキャラを知ってるだけなので、リアルな知りあいかと言われるとビミョウ。
Facebook上で本名だったりすると、誰だか分からない場合も(笑)
というわけで、最後のセカンドライフ系が一番、自分としては身近に感じるクラスタなんだけど、よぉく考えてみると、リアルで会ったのは1回だけとか、せいぜいそんなレベルで、リアルな関係ではないんですよね。。
なのに、リアルに会ってる人より身近だし、好きだっていうのはなんだろう。
思うに、人と触れあってうれしいという裏には、自分も相手のことを知ってるし、相手も自分のことを知ってくれてるという、双方向の情報交換が必要なんですよね。
セカンドライフ関係では、私も「自分のコンテンツ」というものを持っていたし、出会う人もそれぞれに個性的なアバターを着用してたり(それだけでもすでにひとつの表現になっていた)、お店をやってるとかクリエイターだとか、いろんな活動をしてて、
たしかにパソコンの中の話だったかもしれないけど、お互いがそこにいて、確かに何か活動して、その活動をとおして知り合って、交流してたと感じます。
Twitterで出会うとか、Facebookで知り合うというのより、格段に交換する情報量が多かったんじゃないでしょうか。
ほとんどリアルな生活に近いくらいに、セカンドライフは、二つ目の世界だったなぁと今ふりかえってもやはり、そう思います。
今日、Facebookのプロフィール画面に、何か自分らしい写真を入れようと思って、考えたんだけど、ここ数年使うのは筆文字の宣伝画像ばかり。自分らしさを表現した写真なんて、ひとつもなかったのです。
結局、とりあえず使ったのはこれ
セカンドライフ内にあった、私たちのSLCOMというコミュニティのクラブハウスです。
SL内で知り合った友達に頼んで作ってもらったもので、隣には有名なBOOK OFFの建物があって、ハロウィンの時にはクリエイターさんに頼んで飾りつけをしてもらったりも。
建物もなにも自分で作ってないけど、自分のコンテンツだという強い愛着がある。
自分が運営していた何かがそこにあった気がする。
あれは、なんだったんだろうなぁ。
…って、いつのまにかノスタルジーに浸ってしまいましたが。
言いたかったことはそれじゃなくて、リアルに会ってるから私のことよく分かってるってことでは全然なくて、ほとんど会ってないようなバーチャルな知りあいのほうが、深く、正しく、私を理解してたり、私の言いたいことを感じ取ったりしてくれてる気がする時があるよって、こと。
できれば、そういう、気持ちの通じ合える人の輪をどんどん広げていきたいですけどね。
でも、そういう人は、ひとりかふたり、いてくれればそれでじゅうぶん、という気もします。
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