他人の芝生が青かったので…

幼児用の絵本を書く気は全然ないので、技術的にはあまり役立たない本ですが、読んでみるもんですね。
技術以前に、基本的なことを勘違いしていたのに気がつきました。

人間の種類について…。
人種や性別とは関係ない、その人の特質みたいなものについて…。

本の中に靴のたとえがあって、大人向けの小説家はぴかぴかの靴を履いていたとしても別にわざわざその話はしない。でも絵本作家が新しい靴を買ったときは、部屋に入って来るなり靴をみせびらかし、聞いてもないのにその靴を手に入れたいきさつをうれしそうに話す、と。

これは、比喩なので事実そのままではないのでしょうが、そういう子供っぽさを持ったまま大人になった人でないとできない仕事ってのがあるんですね。
この比喩は私に、人間の種類というものの思い出させてくれました。

私も、小さい頃から本の世界に生きていたので、現実の中に自分の居場所を見つけられなくてずーっとずーっと孤独な思いをしていたものです。年を取るとそんなことも忘れてしまって、あたかも自分が普通の人であるような錯覚におちいっていたけど、そもそもの私の居場所は空想の中にあるっていうのが事実なんですよね。

それは努力で克服すべきとかそういう問題じゃなくて(小学校の時の担任からはそう言われましたが。そんな夢みたなことばかり考えていないで、現実を見なさいと)、ひとりひとりの個性の問題だし、ある程度、生まれつきなんですよね。

イチローにとって毎日野球をするのが当たり前なのと同様、一部の人にとっては空想とともに生きるのは当たり前なことなのです。

私の場合、まわりにそういう人がいないので、つい、おかしいのは私のほうで、そんなふうに空想に夢中いなるのはいけないことだと、自分で「なかったことに」してしまうんですが。
小学校の担任から言われた言葉は今も覚えているし。

2001年に起きたこともちょうどそれで、当時私は、猫が主人公の小説を書いていて、それなりに楽しくて、「ああ私はもうずっとこの世界に生きていよう」と、はっきりと思った、その直後に、夫が引きこもって突然収入がまったくなくなるという、まるで天災のような事態に見舞われました。
その時、私は「きっと私がそんなふうに、空想の世界に入り込んだから、バチがあたったんだ」というふうに、自分のせい、自分が悪かったからだと思ってしまって、それから10年、小説は封印し、空想にふけるのも自らに禁じて、今こうして会社をやっているわけだけど。

…楽しくない。
…なんで自分が筆文字を(あるいは別の何かでも同じ)売っているのか分からない。

当たり前ですね。
そもそもの自分を全否定して、人がやっていることを真似してビジネスマンみたいな振る舞いをしていて、楽しいわけがないし、また、うまくいくわけもないです。
ビジネスってそんな甘くなくて、やっぱり、自分の持てる力を全部、惜しみなく注いで初めて、ようやくスタートラインに立てるくらいのものなんだって、10年やってきて、ようやく分かりました。

だから、ビジネス的な成功のためにも、私が私らしい人生を生きるためにも、「空想の世界で生きているのが自然」という自分の本来の姿を取り戻し、それを自分で否定せず、またまわりからも否定されない環境を構築していくというのが、まず最優先ですべきことです。

なんかこう、そういうのって最初から分かってた、自明のことなのに、なぜか「いや、そんなことはない。私も彼らと同じようにやれる、やるべきだ」と思ってしまうんですよね。
自分じゃないものになりたかったかも。
他人の芝生は青く見えたし。

さて今日は第1回の一期一会の集いです。
私は動画の撮影のために同行します。
そういうのに興味のない私にはあまり楽しそうにも思えないけど、きっとこういうのが好きな人にはとても役に立つし、ためになる集いだと思います。

コメント

  1. kurosquare より:

    >そもそもの自分を全否定して、人がやっていることを真似してビジネスマンみたいな振る舞いをしていて、楽しいわけがないし、また、うまくいくわけもないです。
    考え方によっては、他人と違うところが、自分が自分であることの証でもあるわけで、時には強みになるかもしれないですね。

  2. IKUKO より:

    コメントありがとうございます。
    まぁ、自分がビジネス向きじゃないとしても、だからって仕事をやめるわけにはいかないので、もう、人と違うところを生かしてやっていくしか、道が残されていないということも言えます…

タイトルとURLをコピーしました