【読書】ロスト・シンボル/ダン・ブラウン〜空想力は人類の宝

作者はあの『ダ・ヴィンチ・コード』を書いた人です。
『ロスト・シンボル』は、『ダ・ヴィンチ・コード』の主人公ラングトンが登場するシリーズ第三作だそうです。内容は、今回、最後の晩餐とマグダラのマリアではなくて、フリーメーソンと純粋知性科学。

フリーメーソンについてはすでにみなさんもご存じの通り。実在の団体で、日本にも支部があるそうです。あの鳩山元首相もメーソンだと、この本の帯に書いてあります。本当でしょうか。

純粋知性科学については、日本語情報が少ないようですが、これも実在する科学のようです。内容については…ややこしそうなので、本書をお読みください(爆)

とにかく私は、この手の本が一番好き。
壮大な謎と、スリル満点の冒険が詰まっています。
フリーマントルや、アーサー・ヘイリー、ジェフリー・アーチャーやマイケル・クライトンで、育ってきたといっても過言ではありません。
これらの作品群は、誰が読んでも面白い、いつ読んでも楽しめるという意味で、ハリウッド映画のように世界で受け入れられるジャンルだと思います。

さて、本書の内容ですが、ダヴィンチコードを読んだ方なら、違和感なくそのまま世界が続いてる感じだと思います。近所のスーパーの書店に上巻だけあったので、誘惑に耐えられなくて買って帰って、その晩にはAmazonで下巻を中古で購入しました。よく考えたら上巻も中古で買えば良かったんだよねえ。でもまあその場の衝動ですから…。

冒頭から事件勃発、いきなりの大ピンチと、息もつかせぬ展開で、こういうの好きな人なら間違いなく楽しめる、上質エンターテインメントと思います。
こういうジャンルで活躍する日本人作家って、思い浮かびませんね。グローバルに通用するキリスト教や英米世界の題材でないと世界では通用しないので、日本人には難しいのかな。
吉本ばななや村上春樹のようなセンシティブな文学系は、そういう制約を受けないので、かえってグローバル展開に向いているのかも(両者とも日本文学としてはちょっと浮世離れして、西洋チックですから)

ちなみに上のリンク先には、ダン・ブラウン本人によるプロモーションビデオ(日本のユーザー向け・字幕つき)があります。私も本人を見るのは初めてです(^^;

繰り返しますが、私は子どもの頃から、学校や職場のことなど日常の雑多な心配事や喧噪から離れて、こういう架空の世界に遊ぶ時間が、何よりも好きでした。
その世界は架空だと分かっていても、むしろ架空だと分かっているからこそ、時を忘れて楽しめる。
その情報が役に立つかどうかとか、資格が取れるのかとか、本を読んだらキャリアアップできるのかとか、そういう「アホな」ことを考えず、無心にお話世界を楽しむ。

このことの良さと価値を、私の周囲にいた大人はひとりとして認めず、「本なんか読んで遊んでないで勉強しなさい」と、判で押したようなことしか言わなかったけど(なので、本は隠れて読んでいました)

でも、この世にないものを夢見るのは、人間だけに与えられた能力で、人間はその空想をもとにたくさんの発明をして文明を発展させてきたわけなので、その空想能力を活性化するのが悪いことなわけがありません。

それから、自分の子どもを虐待して殺してしまったり、好きな相手に振られたから殺したりするのは、「もし自分がその子だったら」「もし自分がその相手だったら」と、その人の身になって想像する、ということができないためだと思います。もし、殴られたらどんなに痛いだろうって、相手の身になって想像できさえすれば、避けられた悲劇がたくさんあったはず。

人間の子どもは「たまごっち」じゃない。ばしばし叩くのがしつけじゃない。自分の子どもの頃を思い出したらすぐ分かるでしょうに、そんなこと。
…でも、それができないというのは、多分「他人の身になる」という想像力が欠けているんだと思います。

だから私は、小説を読んで空想することは、人間にとって非常に大切なのだ!と確信しています。
映画やゲームでもいいけど、一番想像する力を必要とするのは、文章で体験する架空世界だと思うので、とりあえず小説かなと。

で、気になったエントリがあったのでご紹介。
フィクション欠乏症について – レジデント初期研修用資料
・オカルトの摂取は大切
・フィクションの力
・創造は欠乏から生まれる
・いかがわしいものには意味がある

フィクション(架空の世界)というものに、早くから触れて、「飽きておく」ということが大人として生きる上で大切だという話です。ご一読ください。

私は、いまだにフィクションに飽きないアホな人間ですが、フィクションの世界という「楽園」をいつも持って生きていられる自とが、このうえなく幸せだと感じています。

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