最近、WordPress関係のイベントをやっているので、すっかり忘れていたあの2010年のWordCamp名古屋の頃を思い出すことが多くて、なんか、楽しかった思い出しかないけど、あの頃ってどんな生活だったんだろうと思い、さっき、このブログの2010年の投稿を読み返してみました。
そしたら、WordPressだけじゃなくて、はやり始めたTwitterのオフ会とか、いろんな会に顔を出して、まあ元気だったこと。
書いてる内容も前向きで、筆文字やりたくないっていう泣き言はすでにときどき書いてるけど、基本的にはやるき満々。
この調子でがんばったら、未来は必ず明るい!
そんな気分にあふれた人間だったみたい。
しかし、私は2年ほど前から燃え尽き寸前、ショップオーナーの交流会でなんとかモチベーションをあげようとするもギブアップ。
去年の夏からは、会社の代表を退き、WEB担当以外の代表としての仕事や役割や義務を全部放棄して、全然関係ないパートの仕事に出て、ようやく人間らしい明るさを取り戻した感じ。
いったい、2010年から2017年の間に、何が起きたんだろうと、きっかけを探してみました。
勉強会を離れたあと宝塚に夢中だった
2011年からは勉強会主催をリタイアし、自分の仕事(ショップとか)に専念。
同時に、ウィンドサーフィンを始め、そのあと、宝塚にも夢中になりました。
宝塚は、大空祐飛(ゆうひ)さんにハマって、スカパーで宝塚の専門チャンネルに入り、祐飛さんが出ていた昔の演目をさかのぼってずーっと見たり、雑誌を読んだりして、かなりの時間を宝塚に費やしました。
その時期は、筆文字ショップがあまり成果を上げていなくても、精神的にはさほどこたえてなくて、ひたすら宝塚を見る日々。
その祐飛さんが退団した頃から、なんとなく、夢中になれるものがなくなって、迷走しはじめた感じ。
相変わらず宝塚は年に何回も見に行っていたけど、ものすごく夢中になれたのは「エリザベート」だけ。
夢中になれるものがなくなり人生が味気なく
一方、仕事は相変わらず。
何をしても、いまひとつ反応がなくて、低空飛行が延々と続く。
未来は必ず良くなる!という勢いをなくすと、すかさず不安が意識を占有しはじめるもので、そんな自分に呼応して、ビジネスセミナーの情報が目に飛び込んでくる。
そして受講したのがこのセミナー
【EC】明日からできる!“売れるネット販売”の実践術 ~鍵はデータ分析?!にあり~〈名古屋会場〉参加レポート
なんかこれ受けたとき、さっと霧が晴れるような感じがして、「そうだ!これで解決できる!」みたいに思ったのを覚えてます。
さっそく、言われたとおりに毎朝ミーティングして(2人で)、前日の振り返りと今日の課題を決めて、作業がんばる!みたいな生活が始まりました。
今にして思えば、これが不幸の始まりでした。
なにしろ、我が社は2人しかいません。
がちんこ対決です。
しかも、WEBサイトのSEOって、やり方が分かってるようで実は手探り。
うまくいくかどうか分からないまま、苦しい作業が続き、先が見えません。
2ヶ月くらいは毎朝のMTGを続けていたけど、だんだん、毎朝、私がつとむにいらだち、責め立てて、叱責する雰囲気に。
私自身は、以前からずーっと言っているとおり、筆文字販売には個人的に興味がなく、ただお金が必要だからやっている、というスタンスだったので、とにかく、毎日朝から晩まで、この、私にとって重荷でしかない筆文字の写真を加工したり、キャッチコピーを考えたりするのが、ほとんど拷問。
嫌いなものを毎日鼻先にごりごり、押しつけられてるような感じだったのです。
だけど、セミナーを受けたときの「これだ!」という感覚があまりに強くて、なんとしても、サイトの検索順位を上げて、アクセス数を増やさないと!と、とりつかれたように頑張り続けました。
やがて、毎朝、つとむの顔を見ると腹が立つようになり、3ヶ月くらいで朝のMTGはやめました。
でも、状況が変わるわけではありません。
相変わらず、のらりくらりしたつとむの様子に腹が立つし、かといって、SEOをがんばってもそれほど成果も出ないし、
「どうしてダメなんだろう」
「どうやったら成功できるんだろう」
「うまくいかないのは、私のやり方が悪いせいに違いない」
「だけどどうして私だけ、こんな苦しい目にあわないといけないんだろう」
と、気持ちはどんどん暗い方向に。
それでもなんとか浮上したくて、本もいっぱい、動画もいっぱい、セミナーがあれば行くし、できることはすべてやった。
でも、そんなふうに苦しんでもがいてるのは私だけで、肝心の当人は、のらりくらり、新しいことはやりたくないし、今までやったことがないことはできない、なぜならやったことがないから、みたいな感じで、もうどうしようもなく腹立たしい。
せっかくスタートした講師養成コースも、新規開拓をしないので、先細り始めて、私がテコ入れしないとそのまま消滅しそうな具合。
やればやるほど深みにはまって、蟻地獄みたいに抜けられない。
そうこうするうちに、長女に続いて次女までがひとり暮らしのために家を出ることに。
そうしてふたりきりになると今度は、私自身、ここにいる意味がなくなってしまったことに、気がついてしまい。
もうなんのために、こんな、辛くて大変で面白くないことを続けないといけないんだろう、これって何かの呪い?
とまで思うようになりました。
この時点で、私は大量の写真加工のマウス操作で右肩が上がらず、寝返りも打てない状態。
それでも、つとむは、私に頼りきり。
20178年の4月から6月、最後のチャレンジと思ってSF小説を書いていましたが、それが終わると同時に、もう無理ってなって、すべてをいったん中止にして、1ヶ月間、実家で静養。
その後、戻ったけどすぐにパート勤務に出て、以前引き受けていた仕事は全部返上。
精神的な支えになるのもやめて、ノータッチで放置して、今に至ります。
自分の「好き」」「嫌い」を無視しないこと
振り返れば、もともと興味のない商品や仕事だったのを、宝塚や子どもの存在を励みに、なんとかだましだまし続けていたけど、それがなくなってしまったあと、なんとかがんばろうとセミナーを受けて努力しはじめたらその、嫌いな部分がどんどんクローズアップされて、もっと嫌いになってしまった。
という展開でした。
なんとか好きになろうと努力したけど、努力すればするほど嫌いになり、最後は写真を見るだけで吐きそうでした。
1年放置した今のほうが筆文字商品に愛着感じます。
あの、2010年の頃は無邪気に、がんばれば私も成功できるって、無心に信じていたけれど、
筆文字はともかく、つとむを支えるような仕事は、そもそも私が望んだ仕事じゃなかったとしか言いようがありません。
大好きで、夢中になってできる仕事でないと、人は限界以上にはがんばれないものだなと。
そして、限界を超えてがんばらないと、なかなか、突き抜けた成果は出せないな、と。
そんな単純なこと、最初から分かってたに違いないのに。
好きじゃない。
辞めたい。
ということを認める勇気がなく、もうちょっとがんばったらできるんじゃない?という欲も捨てれず、ずるずると続けてしまった結果、とんでもなく嫌な気持ちに支配される結果になったのでした。
幸い、パートに出て、精神的にラクになり、毎日気分も明るくなったし、いろんな本や動画から新しい情報も得て、どんどんハッピーになってます。
今はもう、好きじゃない何かに人生を支配されるなど、とんでもないと、切って捨てることができます。
そして、筆文字販売も、自分が面白いと思える部分、チャレンジしてみたいなと思える部分だけ、趣味みたいに取り組んでいます。
もともとそうして、趣味みたいに始めたのが私のインターネットで、趣味だから新しいチャレンジが楽しく、新しいチャレンジのおかげで、セカンドライフにも、WordPressにも出会えたわけで。
趣味だから、仕事より劣ってるってことは、必ずしもない。
特にネットの世界は、趣味でやってる人のほうが強いってこともある。
他の人の言うことに左右されず、自分の感じることをそのまま信じて、自分がやりたいようにやる・やりたくないことをやめるという生き方が、私の今のあり方になりました。
子どもが成人するまではどんな我慢でもするしかないと腹を決めていましたが、これから先は自分の人生を大切に、しっかり生きないと、と思います。
ここまできたらもう、時間こそが価値であり、有限な時間を、どんな気持ちで過ごすかが、私の人生そのものなので。