墓とDNAと先祖に神がいるかどうかについての考察。

週末、土曜日はWooruの勉強会&懇親会
日曜は、おばと墓参りでした。

最近、実家からも、おばからも、「終活ノートを書いてるから、私が死んだらよろしくね」って言われるんですが、ずっと前になくなった実父からも、事前に終活ファイルを渡されていて、そこには父の実家の家系図的なものが入っているらしいのですが、

一度も見てない

です。すみません、相続の手続きをする必要がなかったらそういうの見る必要がないんです、もうちょっと自分も年をとったら興味が湧くかもしれません。。

昨日お参りした岡崎のお墓は、富岡家という、私の母親の実家の墓なのですが、跡取りがなく、直系は途絶え、嫁であるおばがただひとり、戸籍上富岡を名乗る人です。そのおばが死んだあと、この墓をどうするかが数年前からの懸案で、いちばん近い場所に住んでいる私が引き継ぐことになってます(市営の墓地で管理費など無料なので)

富岡家の墓を私が管理し、別途自分の墓を用意したら、私の死後、富岡と金田、ふたつの墓が残りますが、娘ふたりがその時点で結婚して別の姓になっていたら、彼女たちは嫁ぎ先の家の墓のほかに、さらにふたつの墓のお守りをしないといけないことになるけど、

どうなのそれ。
意味分かんない。

ってことです。

人口が減っていく局面で、途絶える「家」も多いのに、墓、多過ぎ。

なのでとりあえず、建ってる墓石はそのままにして、空いたスペースに小さく、私の墓石を置けばいいじゃないかと私は思ってるわけですが、実家の母やおばは、そんな、ひとつの墓にふたつの家の墓石なんて、できない。聞いたことない、と言っていたのですが、

昨日、お墓に言ってみたら、そういうふうになってる墓がいくつもありました。
古い墓石の手前のスペースに、真新しい小さな別の名前の墓石が。

当然そうだよね。

同じ事情だよね。

そこに墓のスペースがあれば(しかも無料で)誰だってそこに墓を立てるでしょう、普通。

究極的には、墓をいちいち、なになに家、と分かるのではなく、先祖代々の墓としておいて、ちょっとでも血縁があれば、あるいはなくても、そこに入れたい人がいたら誰でも、いっしょに入れてあげて、まとめて供養したらいいのではないかと。

そもそも、○○家とかいうけど、夫婦のどちらかは血縁のない人で構成されてきてるのですし。
それにDNAレベルで見れば、全人類が兄弟みたいなものではありませんか。

お墓には、先祖の名前が石に彫ってあるのですが、私が思うに、ほとんどの家で、さかのぼれるのは明治までではないかと。
4世代くらいですよね。

江戸時代には、武家や大きな商家、庄屋さんでもない限り、苗字がなかったので当然だと思います。

でも、庶民でもお武家さんでも、すべての人間が両親から生まれることを思えば、今いきてる人間の全部が、太古の昔まで先祖を持つに決まっているので、天皇家とそれ以外の違いは唯一、先祖に神がいるかどうか。

初代が神という、神とのハイブリッドの子孫かどうかの違いが、天皇と平民との唯一の違いなので、その神のDNAが特定できるのかどうかにはちょっと興味があります。天皇家が今、何世代目が分からないけど、果てしなく一般人と「交雑」しているので、ほぼほぼ、一般人になっちゃってるんじゃないかと思いますが。。

でもその初代の生物学的違い以外の部分では、平民も天皇家も血筋の古さは同じです。

っていうか、血筋ってどこまでさかのぼるんでしょうか。
最初のホモ・サピエンスは、誰から生まれたんでしょうか。その前は原人だったのでしょうか、猿人でしょうか、猿でしょうか、は虫類でしょうか、魚でしょうか、無脊椎のなにかでしょうか、微生物でしょうか、RNAの分子でしょうか。

最初のRNAはどこからきたんでしょうか。
太古の海で偶然できたのでしょうか、それとも隕石にくっついて宇宙から降ってきたのでしょうか。

そんな、悠久の生命の流れの中で、お墓に彫りつける文字にどれほどの意味があるのでしょうか。

…なんてことを、お墓の前で考えました。

土曜日のWooruの懇親会で上野さんが言ってたように世の中には不思議がいっぱい。もしも「株式会社なぜだ」ができたら、私は第1号社員になれそうです。

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