苫米地英人さんの本や動画に必ず出てくるのが「エフィカシー」という言葉で、ぐぐると、自己効力感、という訳があてはまるようですが、要するに、自分にはこれくらいの価値がある、というレベルのこと。
で、苫米地さんによると、成功するためにはエフィカシーを高めることが必須、とのこと。
この話、もう何年も前から読んで知っていたのに、その意味するところに気づいたのは、最近のことです。
会社の売上目標を、労働時間で割ったら、4,000円/時 になるっていう計算をしたことがきっかけです。
▼それに気づいたときのfacebook投稿
かなだ いくこ – 自分の時給(として必要な額)を計算したら、4,000円くらいかなーという気が。
4,000円って、普通の企業より安いらしいんですが、私はふつうに、いろんな勉強会を主催するとき、参加費1,000円とかでやってて、交通費+会場費がぎりぎり払えるくらいの金額で、自分の時給なんてまったく考えていなかったのです。
名古屋まで往復で3時間くらいかかるので、2時間の講習をやったら、全部で5時間くらい拘束されるから、20,000円の受講料をもらわないと、やっちゃだめ、って話です。
それ以下で引き受けると赤字なので、なんらかの目的、たとえば高額セミナーの宣伝とか、そういう目的でない限り、1,000円の講習なんて絶対にやっちゃだめだ、っていうことが、この計算から分かってきます。
私はちょうど1週間前に
HappyWebcafe4月以降は有料にするしか。。。
という記事を書いたけど、その中で、
幸田町まで来ていただけるなら、今と同じ、1回1,000円でやれるんですけどねー
と書いたけど、大バカ者でした。
この場合、たとえば私がWEB制作業をやっていて、勉強会を1,000円で開催することで集客効果が出て、受講者の中から何人かでも数十万円の制作案件を受注できる見込みがある、とかいうことなら、1,000円でもOKかもしれないけど、その気がないのに、なんで1,000円でやらなくちゃいけないのか。
これが私の「エフィカシーの低さ」です。
内容に自信がないから1,000円でやろう、というその発想。
なんというレベルの低さ。
まるで自分はその程度の人間だと公言してると同じじゃないですか。
専業主婦から突然自営業になって、売るものなんかなにもなかったその当時は、値段はいくらでもいいから仕事をやらせて欲しいと思って、利益度外視で動いていましたが、そんなのもう15年以上前の話。
こういうエフィカシーの低さは、掘り返せば子どもの頃に周囲から植え付けられた何かに由来するんだと思うけど、理由はともかく、56歳になった今でも、こんな発想をしている自分に、がっかりです。
1,000円の講習会はひとつの例で、深刻なのはそれ以外の面でも、ろくに報酬がなくても、120%責任を負ってなんでもやってきた現状があります。
必死にアイデアを考えて、次々にトライして、新商品を作ってみたり、新しい講座を作ってみたり、なにも指示しなくても、ほうっておけばなんでもやる人。それがわたし。
何かするとなると、あれが必要だな、これもあるといいなと、どんどん段取りを考えて、準備に奔走して、それもひとつも指示しなくても勝手にやってくれる便利な人。それがわたし。
こういう計画立案と実作業を時給換算したとき、おいくら?
ほっとおけば無料でなんでもやってくれる人。それがかなだいくこ。
エフィカシーって、、、なんだっけ???
…って話です。
こうしたことが、計算したことではっきりして、ようやく自分で理解できたのですが、もう何年も前から、仕事がなんともいえず不公平で不愉快で、やってもやっても満たされない感じがずっと続いていて耐えきれず、発作的に社長辞任したのが3月8日でした。当初は交代じゃなくて辞任して会社を潰すつもりでした。
理屈じゃなくて、なんだかもう耐えられなくて。
でも、それくらい不快さがマックスだったのは、逆に考えると、私のエフィカシーが高まってきて
「こんな状態にがまんできるかい、ボケっ!」
ってなったんだと思うので、私にとっては、状況は好転していると言えます。
そうです。
私にとって、状況は好転しています。明らかに。
いろんなことが、この結果、順調に戻ると思います。
それぞれが、自分のことに責任をもって、自分の頭で考え、自分で工夫してやっていくのが、当たり前で自然なことだからです。
私も、自分のことを考えよう。ほんとうに。これからは。