先週の土曜日です。
CMS fun の後です。
そもそもこの日は歴史ナイトの参加を先に決めて、そのあと「あ、同じ日の昼間なら行けるな−」と思って、ついでにCMS Funに参加した、といういきさつでした(O.O;)(oo;)
うかうかしてる間に、オフィシャルレポートがアップされたので、写真ごとご紹介。
今川義元とかけてブラジルサッカーチームと解く
桶狭間の戦いについては、全国的に有名だと思うのですが、何がもめてるポイントかというと
1,なぜ今川義元ほどの武将が奇襲であっさり首級を取られるというぶざまな負け方をしたのか。
2、信長は果たして、本当に計画をもって奇襲したのか。
の2点のようです。
特に2については、山をまわりこんで背後から奇襲した、という通説に対して異論が出ていて、今ではほぼ、最短距離でまっすぐ突っ込んだ、ということになっているようです。
中日新聞記事中の地図を参照のこと。
今回の歴史ナイトでは、1についても、今川義元がいかに立派な武将であったかが語られ、それがあっさり負けちゃった理由について…
「サッカーだって、日本がブラジルに勝っちゃうようなことが、あるでしょ? それと同じで、今川義元だって、弱小信長にうっかり負けちゃうことだって、あるんですよ。たまたまね。」
という説明をされたのは、ライトニングトークの山崎さんだったと思うのですが、
「あ〜〜なるほど、そういうことって、あるよね」
と納得してしまいました(^^ゞ
義元については、京都に攻め上る途中なんかではなくて、尾張との国境を固めにちょっと出張ってきただけだったというのが実際のところらしいです。本人の周囲も、国境を固めたらすぐ戻るつもりだったし、当時の織田家はしっちゃかめっちゃかで、どうせたいしたことはやってこないだろうとタカをくくっていたかもしれません。
それにしても、雑兵に見つかってあっけなく首級を取られるとは、本人よりも、警備していた近習の者たちの名折れですね。
なんと、この戦いでは今川の先鋒として大高を攻めていた家康は、義元が討ち取られたと聞くや、そのまま今川家を離れて岡崎城に入城して、そのまま独立を宣言してしまったそうです。立場的にはぎりぎりの、綱渡りの状況でしたね。
この戦がなかったら、あるいはここで義元が討ち取られなかったら、その後の日本史はまったく違うものになっていただろうから、なんとも影響が大きすぎる義元の「うっかり負け」だったと思います。
なお、このライトニングトークのために、今川義元にちなんで、ほんとうに「お歯黒」に挑戦した山嵜さんのプロ根性(?)に脱帽です。お歯黒をAmazonで売ってるなんていったい誰が想像したでしょうか。
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陣中飯は朴葉ずし、筍と蕗、大根と人参サラダなど
それ以外にも、カブトの形のパイとか、ほんもののほおばで巻いたほおば寿司とか。
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こちらは会場近くの路地の風景。会場周辺は江戸時代まで遡れる旧市街地にあるので、路地に入るといろいろ歴史を感じる建物や区割りにぶつかります。
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さらに続く。帰宅途中の不思議な出来事
なごやかに会は終わり、錦橋の近くの、上の写真の神社のそばのコインパーキングから車を出して帰路につくと。
途中でナビが、いつもと違う道順を案内しようとするので「?」
名古屋市内から帰るときはだいたい、細かい経路の違いはあっても、どこかで23号のバイパスに入り、そのまま知立バイパスを通って地元まで1直線で帰ります。夜になると流れがいいので、わざわざ高速を使わなくてもスムーズに走れるのです。
ところがこの日はナビが23号線に向かう信号をなかなか曲がらせてくれません。どこまで行くんだろうと思っているうちに、天白川を越え、中汐田を右折せずに直進へ!
やばい!
このまま1号線を行くつもりか?
ということは…
桶狭間古戦場跡へまっしぐらだ!!
1号線はこのあたりで、両脇を山に囲まれた谷間を縫って走っています。
まさに、上の中日新聞の地図の「信長の正面奇襲ルート」の矢印がある場所が、旧東海道で、現在も国道1号線が走っているのです。
うっわ〜、と思いながら走っていくと、当然ですが「桶狭間古戦場跡」という看板がありまして、これも当然ながら、ここまで来て素通りして帰るというのもなんなんで、一応そちらに曲がりまして、ああこのへんで今川義元が討ち取られたのね、と思いつつ、そのまま山を越えて、本来の23号線に戻ろうとしましたが、やはりというかなんというか、戻る道がございませんで(^^ゞ
結局、なんど無視してもしつこく1号線に戻ろうとするナビに根負けして、前後駅のあたりでクランクになった道をぐるぐる回ったりしたあと、あきらめて一号線で岡崎までいって、そこからK田町に戻りました。なんか、岡崎を経由すると遠回りした気がするんですよね。ま、この時間は道は空いてるので、そんなに時間はかからなかったのですが。
しかし、伏見のあたりから一般道優先で自宅を検索したら、どの時間帯でも23号に出て帰ろうとするのが普通のルートだと思うので、やっぱりこの日は、ナビ君が私を、桶狭間に連れていきたかったのかな、と思ったりして、すごいなうちのナビ。超能力か!!と思ったことでした。
古戦場跡ってやっぱり、何かが棲んでいるかもですね。
岡崎には小豆坂という古戦場跡らしき場所がありますが、私はそこを通るたびに、いまだに道に迷います。ナビをつけてからも、なかなかスムーズに通り抜けられません。小豆坂では、甲冑を着た人が部屋を通り抜けるのを見た子どももいるそうです。別に悪さはしないようですが、とりあえず、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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