「うすぼんやりと思う」ことで思考は実体化する?

毎日、自分の中ではいろんなことが起きて、新しい発見やら、明るい展望やらが開けつつはあるのですが、なかなか「これです」とお見せできるカタチになったものがなくて、お伝えできないのがもどかしい。。

本もいろいろ読んでいるし、映画や宝塚の映像も毎日のように見ています。

一冊読むたびに、一本見るたびに、それぞれに思うこともあり、感動したり、新しい発見に驚いたりもします。
ですが、以前のように、それをいちいち書いて公開しようという気持ちが薄れてきたのは事実かも。

以前は、ほんとに、なにか書いて誰かに読んでもらわない限り、あたしはここで誰にも知られることなく埋没するばかり…という恐怖感というか、焦りのような気持ちに突き動かされて、とにかく毎日、なんでもいいから自分のことを書きたい、読んでもらいたい、そして誰かと繋がっていたいと、切望していました。

ところが最近、そういう切羽詰まったものがないんですよねぇ。。。

その理由は、自分の日常をどれだけ書き連ねたところで、本当に私が伝えたいことや共有したい世界は伝わらない、って分かったのがひとつ。
もうひとつは、そんなに焦ってつながりを作らなくても、今、不自由なく暮らせてる以上、必要なものはすでにあるんだろうし、将来もっとたくさんのつながりが必要になったとしたらそれはそのときにちゃんと出会える、というかむしろ、その時にならないと真に価値あるつながりは作れない。だから今焦っても無駄、と、思えるようになったから。

それと、今はひとりでいても、あまりさびしくない。
世間でなにを騒いでいようと、あたしには関係ない。
今は、何もがまんせず、自分のやりたいように暮らしていられる自分がすごくラッキーだと思える。

というわけで、毎日、それなりにがんばって生きております。。

今週は通っているエステのコスメがリニューアルして春の新色がたくさん出たので、その中からアイシャドウとチークと、新しく出たBBクリームを買ってみました。

それから、友達から突然電話で、劇団四季のチケットが1枚余ってるからと誘ってもらいまして、あさっての日曜日に観劇して参ります。「アイーダ」だと思います。
不思議なことですね。

というのも、この数日前にiTunesストアで劇団四季の「アイーダ」のアルバムを試聴しようとしていたところでした。
暇つぶしに宝塚のいろんなアルバムを聴いていた途中でふっと目にとまったので聴いてみようかなと思って、だけど、たまたま何かの用事で放置して、そのまま忘れていました。
観劇が決まってからそのことを思い出してiTunesを開いてみたら、まだそのページがそのままになっていたので、さっそく全曲プレビューしました。

歌だけ聴く分には、とりあえず宝塚よりグレードは上かも。
やっぱり男声パートを男性が歌うと音域や声質が広がるし、なにより男声も女声も自然で聞きやすいです。当たり前だけど。。
劇団四季は、20年以上前の「キャッツ」の最初の名古屋公演を見て以来です。
あの、笹島のへんに作ったテントで上演してたやつです。
今は専用劇場ができて年中なにか上演していますが、なかなか行く機会がなかったので、楽しみです。

それにしても、うすぼんやりと何かのことを考えてると、そのものが実体化して目の前に現れるという現象。
これがすなわち「思考の顕在化」というやつでしょうか。

ポイントは、必死になって考えたり願ったりするのじゃなくて、あくまでも「うすぼんやりと」思いをはせることで、そういう、ぼんやりとしたファジーな状態にあるイメージが一番、実体化しやすいのじゃないかという、これ、今年一番の、私の仮説です。

ほかのことでも試してみようと思います。

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