23日(木) 名古屋で久々の女子会(またの名を「変なおばさん同盟」)
24日(金) 次女の20歳の誕生日を祝って、関の実家でお昼をごちそうになり、帰路、土岐のアウトレットモールでお買い物
25日(土) BSのTwellvチャンネルで宝塚’08年月組の「グレート・ギャツビー」を見る
26日(日) 図書館で村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」を借りる
Amazonのレビューでは、英語版の香りが漂う名訳だそうですが、ストーリーしか追わない流し読みな私には、言われなきゃそうと気づかないレベル(汗) 猫に小判ですね。
でも、英語版のグレート・ギャツビーは、アメリカの高校の副読本になって、アメリカを代表する文学作品として読まれているそうなので、きっと、とてつもない名文なのでしょう。
ストーリー的には、あっけないほどの悲恋物語で、えーもう死んじゃうのって感じ。主人公の死を悼み最後までギャツビーに心を寄せる語り手のメンタリティは日本人に近くて親近感がわくけど。
思うに、名作小説とは、1本の糸で編まれた複雑な模様のレースみたいなもので、ストーリーだけに意味があるわけじゃなくて、文字と文字の連続の中から浮かび上がってくる匂いとか、風とか、色とか、そこはかとない感情とかを、楽しむものなのかも。
もしそうだったら、それはそれで素敵なことだなって、思ったことでした。
ロバート・レッドフォード主演の映画「華麗なるギャツビー」は、ずーっと昔に多分テレビで見ているはずなんだけど、宝塚版を見ても全然、見た記憶が蘇らず。ネットで調べたら、来年、レオナルド・ディカプリオ版のリメイクの公開が決まっているそうで、そちらも楽しみです。