長年の願いがいつのまにか解消ー苫米地とOSHOの間

11月に 石田麻琴さんのセミナーを受けてから、毎日15分の「朝会」を続けています。
その効果はすごくて、今まで思いつきもしなかった方向性がどんどんでてきて、今年はすごいことになりそうです。

それなのに私は先週くらいからガクッとやる気がなくなってしまって、自分がやりたいと言ったことさえ全然作業が進められなくて、なんだこの突然のモチベーションの低下は!こんなことじゃダメだ、がんばらなくちゃ!と焦ったのであります。

とにかく、何がきっかけでそうなったのかが分からないので、1週間くらい悩んでいたんですが、さきほど本棚で手に触れたこの本をぱらぱらめくっていたら…
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こんな言葉があって…

ゴールが近づいて「できそうだ」と思った瞬間にエネルギーは薄れる

これだ!と、叫んだのでありました。

そうなのです、私は、長いこと心に思い描いていたゴールを、気がつかないうちに達成して目標を失っていたのです。

そのゴールとは、

(つ)が自分の仕事を自分で工夫して、チャレンジしてくれるようになること。

です。

以前から何度もくりかえし書いていると思いますが、彼が筆文字で成功する方法が分からないと同じで、私だってアートをどう商売にするかなんて学んだこともなければ経験したこともなく、さらには筆文字やアートに興味すらないんですから、そんな私に「どうしたら成功できるの」って言われてもそんなの知ったことじゃない!って話です。

それでも、当時は子どものためにこれで生計を立てないといけないと思ったから、本を読んだり、セミナーを受けたりして、あとは自分の想像力でもって必死に必死に考えて、考えたことが全部実行できたわけじゃないけど、できることには全部チャレンジしてやってきて、でもその間、ずーっと私が祈っていたたったひとつの願いが、

お願いだから自分で考えて!考えたことを実行しようとして!だってこれは私のすることじゃない、あなたの仕事でしょ!

という思いだったのです。

なにしろ本人はうつ病あがりですし、もとからインターネットやパソコンに対する苦手意識が高くて、自分には無理、あれもこれも全部無理と思い込んで、がんとして学ぼうとしなかったですし、それ以前に、全般的に、今までやったことない未知のことに対する恐怖心がすごく強い人なので、ほんとにまったく、ぜんぜん、なんの提案もなく、全部私主導で、私がやろうと言ったことを機械的にやるけど、私が気を抜くとすぐに止まるということの繰り返し。

ブログの更新も、USTREAM放送や動画配信も。教室でさえ、自主開催の名古屋のは、一度は本人がめんどうになってやめちゃっていたのです。

それがいつからか復活し、そして先日ぐうぜんガラケーをXperiaに変えてLINEが使えるようになったとたんに、facebookだインスタグラムだと、次々に新しいツールを使いこなすようになり、今までは「おれはそういうのは嫌いだ」と寄りつかなかった勉強会にも参加してインスタグラムのことを教えてもらって夢中で更新しています。

仕事が成功するかしないかは分からないけど、こういうふうに本人が本気になれば、あとはなるようになる。もう私が手を離しても、誰にも気づかれずに終わることはない、本人さえ本気でやり続ければ絶対に何かが起きる。
それは間違いありません。

なんてうれしいことでしょう。ほんとに短時間のうちに、あれよあれよというまに彼は変わっていたのでした。

それがあまりに突然だったのと、そもそも私は「目標設定」というときに売上でゴール設定をしていたので、(つ)が自分で自律的に動き始めることを自分が目標にしていたことに全然気づいていなくて、だから、いつのまにか知らないうちに目標を達成してしまったことにも気がつかなかったのでした。

願い事って、改まってノートに書き出したりするまでもなく心の中にはっきりと浮かんでいるもので、わざわざ言葉にしてアファメーションとかしなくても、願い続けるだけで実現することもあるんだな、と、じわっとうれしく思います。

そして、こうして潜在的な目標が達成されたことが明らかになったからには、喜び勇んで、次の新しい目標を設定したいと思います。
今度の目標は、私自身が自分の仕事で成功する夢です。
これからの一生を、人生の残りすべてを賭ける旅のゴールです。

長く背負ってきた重荷が消えた今、想像できないほどのパワーを新しい目標に投入できる気がして、やったね!IKUKO!
ようやく巡ってきた春だね!
これからが本番だよ!

と狂喜乱舞なのでありました。


長い間ほんとうに苦しんできたので「その手の本」はかなり大量に読みました。けれども、最初はただうさんくさいとしか思えなかった苫米地英人本は、いろんな人の説を読んだあとに戻ると「なるほど」と思えるようになり、今では、片手にOSHO、片手に苫米地、その間にそのときそのときで面白いと思う本、という感じになってます。

脳科学でも心理学でもなんでもいいけど、目標目標言ってるとそれだけで疲れるときがあり、そんなときにOSHOの
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を読むと、煩悩がすーっと消える気がします。

なので苫米地とOSHOの間をいったりきたりしながら、自由にのびのびとゴールに向かう旅を楽しむというのが、最近の私の流儀です。
  
  
  

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