スーパーで買い物してたら、ぎゃんぎゃん泣きの女の子をカートに乗せたお母さんが歩いてて、広い店内を女の子の泣き声が近くなったり遠くなったり、ずーっときこえてた。
そしたら、はるか昔に、同じように泣きながらお母さんのあとを追って歩いていた自分を思い出した。泣いてる子どもの側の意識で、思い出した。
そういえば小さい頃はこんなふうに、毎日、毎日、必ずお母さんに怒られて泣いていたっけ。
うちの母親は専業主婦で、わたし、当時は一人っ子で、お母さんも私も近所に友だちがいなくてずーっと家にいて、いわゆる母子密着生活。まあ私のほうは成長するに従って学校の友だちとかできて、だんだん解放されていくんだけど、それでも小学校までは、毎日、ピアノの練習をするしないで夕食前にけんか→私が大泣き。
今になってみると、私に音楽の才能なんかないし、母親にだってクラシック音楽に興味なんてないのに、なんでそんなにピアノに執着して無理強いしていたのだろうと思うんだけど、昭和三十年代の母親って、女の子にはピアノ、男の子にはバイオリン、みたいなお上品な暮らしが憧れだったんですよね。
安月給のサラリーマン家庭なのに、ピアノを買ってしまったというのもあって、途中でやめさせたらこのピアノと、今まで払った授業料が無駄になる、と思ったんだろうな、というのは理解できるけれども。
まあ、昭和の親の常として、子どもは親に従うのが当たり前で、子どもに「気持ち」なんかないし、そんなもの気遣う必要もない、という考えだったし、別に、毎日怒鳴りつけても、そのあと、子どもが引きこもったり、家庭内暴力に走るなんて心配もなかったですからね。
野蛮な時代だったんです。
子どもが親になぐられるのはめずらしくなかった時代です。
まだ、そのへんに放し飼いの犬もいて、うっかり噛まれて狂犬病になるってこともあったし。
おトイレだって、水洗になったのは十代になってからでしたしね。
で、話がそれたけど、
今、2015年で、幼児だった頃から半世紀も過ぎたというのに、通りすがりの子どもの泣き声でタイムスリップして当時に戻っちゃって、ひっさしぶりに、あの情けない気持ち、心細い気持ち、言っても言っても理解してもらえない絶望感みたいな気持ちなど、思い出すと同時に、そういう生活がもたらしたものすごい「疲れ」を感じたのでした。
毎日けんか。
毎日泣く。
毎日、大嫌いなピアノを弾かされる。
その繰り返しで、あの頃の私、ぐったり疲れてた。精神的に。
当時はそれが当たり前だったので思わなかったけど、今、思い返すとずっと私、人生に疲れてた。
それで、中学生になる頃には、はっきりと「この家、きらいだ」「はやく出て行こう」と思って、高校卒業と同時に逃げ出して今に至るわけですが。
でも、あの「疲れ」、今もずっと尾を引いてるんだよね。
ほんと疲れちゃってて、そんなふうに、人並みにがんばれないわけよ。
目標掲げて達成するとか、みんなでがんばるとかさ。
もうやんなっちゃって。
気が済むまでひとりにしといてって感じ。
私はまずこの疲れを取らないかぎり、人並みにはがんばれない。
でも私の人生なんだから、どれだけでも時間をかけて自分の疲れを癒す権利があるし、また、それをパワーに変えて世の中に還元できるように、疲れを癒す義務もある。
なぜなら、生きてる甲斐のある人生を送りたいですからね。
遠い昔に親がどうしたとか、究極、関係ないですからね。
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