日記を書かなかったことへの後悔

うちの猫の話はあまり書いていないですが、実は今、5匹います。
ちょっと前まで、あと2匹、野良猫をひきとって面倒をみていましたが、現在は、うちの猫5匹だけです。

そのうちの最年長、7歳の「ピノ」が今朝、外に出てから帰ってこなくて、普段だったらそれくらいなら心配しないんだけど、ここ3日、40度の熱が下がらず入院して点滴をしていた病み上がりで、まだ鼻に給餌用のチューブがついていて首にはカラーをはめているので、そんな格好で遠くまでいくはずがないと安易に考えていたのですが、まさかの!行方不明に。

とってもとっても心配です。

ですが、私はこの「ピノ」のことを今まで全然、ブログに書いていなかったことに気づいて、驚いています。たとえば去年だったか、歯槽膿漏がひどくなってえさが食べられなくなって、牙と前歯を残してほどんどの歯を抜く手術をしたこととか。

全身麻酔のうえ、顔全体が腫れて、人相(猫相?)が変わってしまったけど、腫れがひいて抜糸したあとはえさが食べられるようになっただけでなく、ひもをおいかけて走ったり、若い子猫ととっくみあいで遊んだりするようになって、それまでは歯が痛くて激しい動きができなかったんだということが分かったとか。

そんないろんなエピソードが、今、思い出そうとしても、去年のことだかおととしのことだか、思い出せない。
他の猫たちのことも、何年にうちに来て、何年にいなくなったり死んだりしたのかなど、ほとんど思い出せないし、記録もない。

今までたくさんの猫を飼って、どの猫のことも可愛くて大好きだったのに、あまり猫のことを話題にしなくなったは2001年から。

1997年頃、私がまだ専業主婦で、自宅でひとりきりでホームページを作っていた頃は、4匹くらいいた猫たちを題材にホームページを作っていたし、中でも全身真っ白の「ピースケ」をモデルにメルヘン小説を書いてメルマガで配信までしていた。仕事を持たなかった当時は、猫が私の生活の中心近くにあった。

それが突然、2001年の夫の引きこもりで中断されて、私のホームページ制作は「お金のため」になり果てた。猫の話なんかしてる場合じゃなくなった。それが正しいかどうか考える余裕もないままに手当たり次第にいろんなことにチャレンジして、2007年に、当時ブームだったSecondLifeに目を血走らせているさなかに、突然、ピースケが死んでしまった。自分のことに必死で、肺炎をこじらせていることにさえ気づいていなかった。もしちゃんと治療していれば死なずにすんだのでは…という思いが消えずに、ずいぶん長いこと自分が許せなかったし、私をそんなところに追い込んだ元夫に対しても、あらためて怒りがこみ上げた。

それ以来、寿命をむかえた猫たちは死に、入れ替わりに新しい子猫たちがやってきて、にぎやかな日々が続いていたのだけれど、私はもう二度と、ピースケのことを語ったみたいには猫のことを語れなくて、結局、ブログには目先の「役に立つ記事」ばかり書いてきた。

ほんと、いまさら「猫ブログ」でもないので、それはそれでいいんだけど、でも、大きな出来事があった時くらい、記録として書いておけばよかったと、後悔しています。

最近では何があっても後悔なんてしない私ですし、今回の行方不明も、自分や誰かを責めてもしょうがないので、できるだけのことはするけどあとは天命に委ねようと思っていますが、ただ、「記録がない」ということについては、正直、後悔しています。

今からでも遅くないので、読む人のためでなく、書いてる自分自身のために、記録として、日々の出来事を書き留めていきたいなと思ってます。考えてみたら、仕事で書いてるブログでもないんだから、読者より自分の都合を優先しても、なんの問題もないですね。

今まで私、なにか、勘違いしていたかも。

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