先日、huluか何かで「LUCY」という映画を見て、とても面白いと思い、、、
LUCY/ルーシー – 作品 – Yahoo!映画
固体に見えているものも、実は、おそろしく小さなエネルギーの粒子の集合で、常に流動していて、確固たるものはひとつもないというのが、この世界の実際の姿だとしたら、残るのは何かというと、ただ「時間」があるだけ。
というようなメッセージを受け取ったのですが、なんかの勘違いかも?
でもこの際、映画の主旨は置いといて、自分の人生を振り返ると、気がついたら生まれてて、選んだ実感もないのに特定の生育環境の中にいて、それに影響されて大人になって、自分ではより良く生きたいと努力してがんばってきたのに、なぜか何事も完成した感じがしないまま、気がつけば人生終盤。みたいな。
これって何だろなーと、思うわけ。
若い頃、少なくとも40代までは、それでもまだ、これはきっとがんばりが足りないからだ。もっとがんばったらきっと「何かが」手に入るに違いない、という感覚があったのだけれど、ここに来て、ああこれはもう方向が違う。このがんばりかたを続けても、自分自身には何も得るものがない、と。
そしてはたと気づく。
人生って、自分に与えられた一定量の「時間」だ。
その中で何をどうするかは各人の自由だけど、なにを成し遂げようが、成し遂げまいが、一定の量を消化したらゲームセットなのは間違いない。
だとしたら、どういうふうにその時間を使うのが、「私にとって」、正しいのだろう?
…お金や成功はもちろん欲しいけど、それがあれば幸せというわけじゃなくて、目指すものの一部でしかない。
逆に、お金や成功を得るために、その他のなにか大事なものを犠牲にしなくちゃならないんだったら、むしろ害だったりもする。
55歳からの人生は、今までの延長ではだめだ。
他人の思惑を理解しつつも、それはほんとうに自分が残りの人生=時間をかけるに値するのかということを、冷静に判断して、取捨選択しなくてはいけない。
ということを思ったのでありました。
人生とは、時間なり。
以上!
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