このところ、意識の表面に近い部分ではWEBショップの構築や運営について考えたり、過去の体験をアウトプットしたりするのを楽しみつつ、別の部分では小説のことを考えるともなく考えてます。
はっきり意識して考えてる時間は短いんだけど、寝てる時にも半分夢みたいな状態で「ああそうか」と何か思いついたりもするので、環境音みたいに常にうっすらと小説が流れてるのは間違いないと思う。
そのせいか、こんな記事が目に飛び込んできたりする。
小説ってこんなふうに書くのか! 片岡義男と江國香織が惜しげもなく明かす「最高の小説のつくりかた」 特別座談会【前編】 | 文学BAR | 現代ビジネス [講談社]
常に意識のバックグラウンドで小説ってどうやって書くんだろう?どうやったら書けるんだろうって自問してるので、まるでカミサマがそれを聞いて答をぽんと投げてくれたように思えて、どきっとしました。
片岡義男は私が20歳の頃、いちばん好きだった作家です。写真、はじめてみました。
軽くて乾いた文章や、現実感のない登場人物たちが、ようやく明るくなりかけた世相にマッチして、他にはない魅力を感じたものでした。
さてしかし、せっかくの記事なんだけど、こういう作家さんの言うことというのは、制作の内側にもぐり込みすぎていて、何を言っているんだかよくわかりません。
逆に、ストラクチャ系の本はあまりに外側から見過ぎていて、あらすじを作るには役だっても実際に書くだんになるとイマイチうまく働きません。
結局、長嶋監督のバッティング指導と同じで、自分の体感から説明すれば「来た球をね、こうしてね、ばーんと打つんだ」となるし、そうじゃない指導者は、ヘッドの位置はこうで、肘の角度はこうでと、外から見た時の様子を描写する。
どっちも正しいけど、どっちもそのままではまねできない。
実際に自分でバットを振ってみて、身体で覚えていくしかない。
というわけで、小説も実際に書いてみるしかないようです。
それでも、上の記事で、物語が思うように動かないという話が出ていたのを読んで、分かったことがありました。
それは、主人公はAというミッションを果たすためにここに来たという設定にしたとしても、必ずしもその方向に話が進むとは限らないということ。
現実世界でも、物事って思った方向に進まないじゃないですか。
たとえばWEBショップの売上を上げようと思ってSEOの業者に依頼したのに、検索順位が上がらないどころか、Googleのペナルティをくらって圏外に飛ばされ、売上激減。
とかふつうにある話だし。
というかむしろ、そういうところからどう回復するかがドラマになるわけで。
主人公目線から見れば、大きなトラブル、失敗、思うように進まない状況は、それ自体が物語を作り出すトリガーなんですね。
現実世界ではトラブルなんてないほうがいいけど、ドラマの中のトラブルは値千金というわけです。
…なに?
そんな当たり前のことを知らなかったのかって?
ほんとにねー、あーレベル低!
自分でも驚きますわ。
でも、今いるところからしかスタートできないんで、しょうがない。
というわけで、今日もうっすらと小説を考えつつ。メモをとりつつ。ぼんやり〜と現実を生きます。
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