最近気がついたのだけど、小説を1本書き上げるのにストーリーやキャラクターばかり考えていたのだけど、その前に、全体に適用されるひとつの「テーマ」が必要みたいです。
「テーマ」は具体的じゃなくても雰囲気みたいなものでもいいけど、てんでばらばらな出来事や勝手気ままな登場人物をつなぎあわせてひとつのお話にしているのはその「テーマ」的なもののようです。
でも考えてみれば、広告物をひとつ作るにも「コンセプト」というものがあって、それを柱に考えないと、アイデアが暴走するばかりで堂々巡りになったりして、最終的にひとつの作品に仕上がらないということがあるのでした。
もっとさかのぼれば、学校で行う授業にも、いちおう単元ごと、授業ごとの指導案というものがあって、その中で、今回の教材を扱う意義や、身につけさせたい能力などを設定したうえで、授業を構成していくのでした。
授業も広告も、何度も同じようなことをやってるとだんだん「まあこんなもんかな」と慣れてきて、だいたいのカタチにあてはめてぽんと作ってしまうようになるので、そういう基本に立ち返ることをつい忘れてしまうのだけど、本来は軸になる「テーマ」があっての「作品」なのでした。
なるほどなー、そうだよなー、と、それに気づいた自分を自画自賛していたところ、ふと
…待てよ?もしかしたら、人生にも「テーマ」っちゅーもんがあるんじゃないのか?
と思えてきました。
少なくとも、偉い経営者とか成功した著名人とかは、若い頃から「おれはこういうのが好きだ」とか「仕事とはこういうものだ」とか、「ぼくはこういうことを実現させたいんだ」という、自分の人生のテーマと呼べるようなこだわりを、なにかしら持っているようです。
でも自分自身を振り返ると、もちろんテーマなんかあるわけなくて、常に、まわりの状況に流されるまま、自由にならない日常を不満たらたらにやりすごしているような、そんな毎日です。
そうか!
人生も小説と同じなんだ!
テーマを軽視してると、右往左往してどこにもたどりつかずに途中で挫折してしまうんだ!
…というわけで、今日から、人生にテーマを持って生きていくことにしました。
テーマはもちろん「ファンタジーにすべてを捧げる」
小さい頃から父母教師親戚から言われ続けた
・そんな役にもたたない
・そんな夢みたいな
・そんな空想の話が何の役に立つの
・そんなものに夢中になってると人生を誤るぞ
・そんなばかみたいなことばかり言ってると…
・そんなことやってないでちゃんとお金を稼げることをしなさい
など、記憶の中に火山灰みたいに降り積もったままの否定的な意見や忠告を全部そのまま、過去に置いたままにして。
そして、これから出会うかもしれない否定的な意見には耳を傾けることをやめて、
今という時間をぜんぶ、世界で一番価値あるものである「ファンタジー」に捧げよう。
たとえ自分がなにもできなくても、毎瞬毎瞬を、空想のもつ強い力と魅力を信じ切った状態で生きていってみようと思います。
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