同級生が校長に!そしてよみがえる懐かしい日々

昨日の朝、なにげなく新聞を開いたら公立学校の教職員移動の特集号がはさまってて、その1面に、大学の同級生だったK君が、写真付きで掲載されていた!!
名古屋市立中学校の校長に新任だそうだ。

当時、あんまり大学には登校していなかった私なんだけど、K君は気さくな性格で、いつも親しくしてくれていた。
でもそういえば、彼は教育実習〜卒論の頃から先生方の覚えめでたく、出世コースなんだろうなという感じはあったからなー。
順当なご出世、おめでとうございますと、遠くから拍手を送りたいと思います。
53歳で校長って、早いほうじゃないかと思うけど、どうなんだろう。現職を離れて長いので、あんまり内部の事情は分かりません。。

で、ついでに新聞を見ていくと、なんともうひとり、同級生A君の名前が、教頭として横転の欄に。
あの、合唱部所属で、いつも歌いながら大学の廊下を歩いていた3枚目キャラのA君が、いつのまにか教頭になっていたようだ。

さらに、最初の赴任校でお世話になった先輩の体育教師Iさんが教育委員会から中学校の校長に、理科教師のSさんは校長として小学校から中学校に転勤しているのを発見!

IさんとSさんは非愛教大出身なんだけど、20代の頃から実力はじゅうぶんだったので、実力が認められて出世されたのは、とても良いことだと思う。もはや学閥とか言ってる時代じゃないようですね。

それにしても、それぞれの人たちの顔をこうして何十年かぶりで思い出してみると、全員、笑顔で話しかけてくれてる姿で思い浮かぶのは興味深い。
いつも私に対して笑顔で話しかけてくれていたから、私の脳内に、そういう映像が記憶されているのだ。
つまり、彼らは若いころから常に誰に対しても分け隔てなく明るく接するという共通点があったのだ。

同級生のK君とA君は、女子ばかりの国語科内では希少な男性だったということもあって有名だったし、少ない男子の中でもどちらかといえば人気者だった。
それでもお高くとまることなく、大学に時々しか顔を出さない私にも、会えばいつも笑顔で「おお、いくちゃん」と呼びかけてくれてた記憶がある。(というか、いつもそういう態度だから人気者になるのだろうが)

初任校で数年先輩だった、体育科のI先生は、生活指導のエキスパートだった(本人の意思とは裏腹だったかもしれないけど)から、まともに声も出せない新卒の私を見て、絶対に「こいつ使えねぇ」とイラッとしていたはずなんだけど、学年が違うのに時々向こうから声をかけてくれた。そしてこの人もやはり「いくちゃん」と名前で呼んでくれた記憶がある。

新卒何年目だったか忘れたけど、途中で転任してきて同じ学年になった理科のS先生は、女性だけどめちゃくちゃ迫力があって、子どもの前だけでなく、職員会議でも、誰はばかることなく堂々と意見を述べていた。その遠慮ないもの言いは、非愛教大出身ということもあって、教職員の中ではちょっと浮いていたけど、なぜか私のことを気に入ってくれて、プライベートでも時々遊びに誘ってくれて、確か、初めての海外旅行も、この人に誘ってもらってシンガポールに行ったんだ…。

誰が見ても明らかに教職員集団のおちこぼれだった私に、「いくこさんの書く学級通信はほかの人とは全然違うね。いくこさんの感性が感じられて、あたしはすごく好きだよ」と言ってくれた。
どうがんばっても教師としてダメダメだった当時のあたしが、その言葉でどれだけ慰められたか。
今でもその言葉は忘れない。

当時は、毎日その日その日に必死で全然気がつかなかったけど、周りにはこうした心優しい人たちが何人もいて、やさしい気持ちを向けてくれていたのかもしれないなと思うと、ひとりで苦しんでひとりで悩んで、貴重な青春時代を無駄にしたようにしか思えなかった教員時代にも、ちゃんと意味があった気がして、なにか報われたような、許されたような、温かい気持ちになる。

意外と、当時自分で思ってたよりずっと、アタシは幸せだったのかも。
出来事というのは見る視点によって、良いことにも悪いことにもなり得るという一例ですね。

というわけで、ひさしぶりのめでたい話題を見つけてうれしかったという話。

あと、あれから30年の時を経て思うのは、今、目の前にいる人やものごとを大切にしないで、バカにしたり踏みつけたりして次のコマに進んでも、結局は土台から崩れてやり直しになるんだな、ということ。(※この30年間の私の人生のように)

結局、幸せな人生というのは多くの宗教や哲学が教えるとおりで、人や出来事を恨まず憎まず、いつも今を大切に、今できることをせいいっぱいやっていくという、そのことに尽きるんだろと思います。

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