今朝、出勤する次女を駅まで送っていく途中、FMラジオで某宗教の番組が始まり(そんなのやってるんだ!ってびっくりしましたが)教祖?の大川隆法さんが
なりたい自分を常に思い、自分はそういう人間だと思い続けることが大切である。ひとつのことを思い続けられる能力があること、それがすなわち、あなたがそういう人間であるということだからである。
と言っていた。願えば叶うというやつか…と思いながら家に帰って、メールチェックしたら「やまもといちろうメルマガ・人間迷路」が届いていて(月曜発行のはずだけど遅れることが多くてズレまくり。いったいいつ発行の号なのやら)
読んでいたら、どうしたらお金を儲けられるのだ?という相談に対する回答の中に、
自分の心の中に神殿を築き、誰が何といおうと私はこれで身を立てるのだ、これで金を稼げるように努力を続けるのだ、という誓いを立て、守り抜かなければ、お金を得ることは実現できないと思います。
と書いてあった。
同じことだよね?だよね?よね?
まとめれば 「信じてやり続ければ道は開ける」 だよね?
あの大川隆法さんと、あのやまもといちろうさんが、奇しくも同じ日に同じことを言っていた(というか、私が聞いた)というのは面白いことです。
大川隆法さんの場合はそういうことを考えたり話したりするのが仕事なわけですから当たり前として、やまもといちろう氏の場合は、ご自身の体験の中から得た教訓としてその言葉があるわけなので、それはそれで重みがあります。
人生の下り坂に入った50代の私としては、しかし、これから人生が始まる若いみなさんとは、そうした言葉から受ける印象は真逆かも。
今は、もうこれ以上捨てるものがない、というところまで、余計なものを捨てることに注力しています。
昨日は、これをもって自分のSL人生に一区切りをつけようという意味で、MagSLで6年間借りていたセカンドライフ内の土地の解約を申し入れました。私の17年に及ぶWEB活動の中で最もヒットしたWEBサイトであるSLCOMも閉鎖を決めています。
数日前には、この10年ほどの間、名古屋での私の(精神的な)拠点だったeXeの会員をやめて、今までありがとうという意味で賛助会費を寄付するだけのスタンスにしようと思い立ちました。
今年の1月から筆文字販売の仕事でもサブに回り、実質的な推進者でなくなったのは、何度も書いている通りです。
SLとか、eXeとか、あるいは仕事とか、この世での自分の「所属先」のようなものをどんどん手放して、どこの誰でもない、何者でもない自分に、戻りたいという衝動です。
どれくらいまで戻るかというと、そうですね、小学校の低学年、あるいは小学校入学前の頃でしょうかね。
肩書きとか、学校での評価とか関係なく、毎日を自分として生きていた時代くらいまで、一気に戻ってしまう感じでしょうか。
確かに世界に色と匂いが感じられていた頃。
空気の中にキラキラしたものが見えていた時期。
未来という言葉が、虹色に見えていた時代。
純粋に、そこにいて毎日生きていることがそれだけで楽しかった頃に、今、あらためて、意識して戻ることが、すべてのはじまりにつながる、そんな気がしています。
きっとそれは今までとは全く違う、第二の人生。みたいな。