覚醒の時きたる

架空の町、愛知県朝日野市を舞台にしたジュニア小説を書いてるんですが、書いてるっていうより、ひがな一日、町の様子を思い浮かべて地図を描いたり、登場人物のお母さんの名前と生い立ちをぼんやり考えたりしています。

お母さんにも、お母さんなりの、事情っていうものがあって、そういう子育てだったわけだし、人にはそれぞれ、大切にしている思い出とか、この世に生を受けた役割とかが、あるんですね。
小説の中の架空の人物でさえ、そういうのを持ってるっていうことに、気がついちゃって、ああこれはたいへんだ、みんなのこと、ちゃんと見て(聞いて)あげなくちゃ…っていう感じになってます。

まとめていうと、全部空想に過ぎないにもかかわらず、登場人物には固有のキャラクターがあって、彼らなりの「行動する理由」を持ってるので、勝手に好きなように動かせるとは限らなんいんだって、いうことですね。
小説を書くっていうことは、私が思ってたのとちょっと、違うことなのかもしれません。

でもまあ、私の頭の中で考えたストーリーを強引に書いてくだけじゃ、何事も起こらないのは分かっているので、書ける日も書けない日も、いつも変わらず「彼ら」のことを思い「彼ら」のことを考えて、毎日を過ごすのが、私に今できる、せいいっぱいかな、と思っています。

不思議と、30代の頃から断片的にメモしてきたいろんなシーンが、「ああ、この人は、あそこに出てきてたあの人か」とか、「ああ、この子の住んでるこの街は、10年前にスケッチしたこの地図の街だわ」とか、断片がぴたっと収まるような感じも時々あり、これはなかなか面白いなと。

そうして、こういうことを夢中になって考えていると、そのほかのいろんなことは、もうどうでもいい、過去のことになっていってしまうのですね。

毎週、家のキッチンでつとむとふたり、仕事のミーティングと言っては筆文字の販売戦略を考えていたあの頃。
なぜ、面白くてよく売れる小説をどう書くかが議題にならなかったのだろう?
私の会社なのに、私がやりたいことが業務に入ってないとか、なんの冗談。
これは誰の会社、なんのための人生。

この境地から見ると、自分の今までの人生すべてが奇妙な幻に思えてくるのですが多分、ずれてたのは以前の自分で、今のこの状態が、あるべき姿なんだと思います。

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