[昔話] ピアノの練習で幽体離脱とか?

やる気はないけど、作業だけはいっぱいあるので、せっせと写真の加工とかWEBサイトのレイアウト修正とかやってます。

写真の加工もバナー作りも嫌いだけど、暇つぶしにはなるのでまあいいか、と思ってやってます。

単純作業をやっていると、子どもの頃を思い出します。
4歳から習わされていたピアノの練習。

始めて半年くらいでいやになっちゃって、嫌いで嫌いで仕方がなかったピアノ。
親が、アレな人だったので、100万回くらいいやだって言ったのにやめさせてくれなくて、結局中学で岐阜県に引っ越して物理的に教室に通えなくなるまで、続けさせられました。

週1回のレッスン以外に、毎日夕食前に1時間練習すると決められていて、この時間がいやだったこと。全然楽しくないし、あんまり退屈なので、弾きながらぼ〜っとする癖がついてしまって、その間は、考え事をしてるわけじゃないけど現実にもいなくて、ふと我に返ると、どこまで弾いたか分からなくなってるって、しょっちゅうでした。

幽体離脱してたんじゃないでしょうか。
弾き続けていないと隣の部屋で聞いてる母親に怒られるので、身体だけ残って機械的に弾いていたけど、間違いなく意識は飛んでました。。

ピアノはほんとにトラウマになっていて、今でも、モーツァルトを聞くと、なんともいえない不愉快な感じがします。ショパンとか華やかな曲を弾きたかったのに、音楽学校を受験するにはモーツァルトは必須だと、先生と母親で話がついてて、どうしてもモーツァルトだったんです。

ほんと、あの頃、大人ってみんなバカ?って、本気で思ってました。
ほかならぬ本人の「私が」音楽科に進学するつもりはないって、はっきり言ってるのに、親と先生でなに勝手に決めてんだか。

それからウン十年。

世の中も大きく変わりました。

今ではそんなふうに、本人不在のまま進めるようなピアノ教室は、ないでしょう。

とりあえず私は、少なくとも自分の子どもにだけはそういう経験をさせたくないと思って、何をやりたいか・やりたくないか、常に自分で決めて選ぶことができるように、最大限気をつけて育ててきて、とりあえず今のところは、ふたりがそれぞれ、好きなことを見つけて、そちらの方面に進み始めているけれど。

でも、私自身をそういうふうにサポートしてくれる人は、結局現れなかったなあ。

みんな自分の都合のいいように私に動いて欲しいだけで。

私がほんとはどうしたいかなんて、気にもとめずに。

…でもだいじょうぶ。
私には私がついてるから。

先見性と企画力を兼ね備え、実行力もある。
そのうえ、世界中の誰よりも私のことを理解してて、最後まで見捨てない。
そんなサポーターは、世界広しと言えども、私以外にはいません。

だから、私は大丈夫。ぜったい成功するし。

ちなみに、ピアノの練習は嫌いだったけど、ピアノの音は好きで、今も聞くのは好きです。
モーツァルトのあの古くさい、ワンパターンな、装飾音符のフレーズは嫌いですが、バッハはなぜか許せる。
そして、ショパンとかリストとか、華やかできらびやかなのは大好きです。

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