【映画】かみさまとのやくそく についての、まとまらない個人的感想

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映画「かみさまとのやくそく」公式サイト
 
昨日、古い友だちが誘ってくれたので「かみさまとのやくそく」の無料上映を見てきました。
 
内容は「胎内記憶」をもつ子どもたちや、その母親、そして、そうした子どもたちの存在に気がついて聞き取り調査をしている産婦人科の医師たちのインタビューです。
 
胎内記憶というのは、もちろん、おかあさんのお腹の中にいるときの記憶という意味なんですが、実際にはそれより前の、いわゆる「前世」とか、あるいは、前世と今回の人生の間に、「あの世」のようなところに魂として存在していて、そこには大きな神様がいて、テレビのようなもので見ておかあさんを選んで、滑り台のようなものをすべり降りて、おかあさんのお腹に入ったというような、中間世を語る子どももいるのです。

わたくし、なに隠そう、こういう話は大好物で、ずっと前からこういう話は本で読んだりしていたのですが、今回はじめて、実際に子どもたちが自分の言葉でそういう話を語るのを聞いて、やっぱり、すごく驚きました。
 
思うことはいろいろあるのですが、ひとつだけ、今の自分に必要な情報だったなって思ったのは、後半で、小学生くらいの子どもたち3人が語っていた内容で、それは
 
私(ぼく)は、前の人生で後悔してることがあったので、今回は「おみやげ」を持って生まれてきてて、おみやげを渡し終わったら、そのあとは、自分のやりたいことを、思い切りやる。
 
 
というのです。
インタビュアーがなんども問いかけてくわしく聞き出すと、その、後悔していることというのは、前の人生で自死したり、犯罪をおかしたり、家族に迷惑をかけたりというようなことなのだそうで、生きてる間はまわりの人の気持ちがわからなかったけど、死んで身体から出ると、とたんに、まわりの人の気持ちが全部わかって、たとえば、おかあさんが「お前のことは好きだけど、あまりにもひどいことばかりしていたから、死んでくれてよかった」と思ってることとか、全部ダイレクトに分かっちゃって、それでショックを受けて、後悔して、そのあと自分から「暗いところ」に入ってしまうんだそうです。
 
そしてじゅうぶん反省すると自分からそこを出て、前の人生を埋め合わせるために「おみやげ」を持って生まれ変わるのだと。
 
で、今回の人生ではまずその「おみやげ」を渡して、それが終わったら、すっきりした気分で、自分のやりたいことをやる、と、小学校の3年か4年くらいの子どもたちが、口を揃えてしゃべるのを見ると、なんだか、鳥肌がたつ感じでした。
 
わたし、今、55歳ですけど、最近ずっと考えていたのは、
「どうして私はこんな人生を生きているんだろう」
「なんのためにここにいるんだろう」
「これから、どこへ向かえばいいんだろう」
ということ。
 
別に、今の人生を悔いているわけではないけれど、小さい頃からほんとうに不本意なことばかりで、自分がこっちへ行きたいと思った方向には絶対に行けなくて、これはやりたくないなぁと思う方向にばかりどうしても向かわざるを得ないような、どうにも、自分の力では変えられない、強い流れがあるような感じがして。
 
ちょっと前にも書いたけど、たとえば、高校3年のときに、何がなんでも絶対に先生にだけはなりたくない、学校が嫌い、教師も嫌い、子どもにも興味がないってどれだけ言っても結局、なんだかんだで、教員養成大学しか受験させてもらえなかったということとか。
 
結婚後も、ようやく子どもが小学生になって手が離れたかと思った矢先に今度は夫がうつ病で引きこもって、突然の仕事放棄。
ここでも、逃げ出す選択をできずにずるずると面倒を見る羽目になって、別に好きでもない興味もない仕事に不本意ながら従事することになり。
 
もちろん、そんな境遇でも得るものはいっぱいあったし、楽しい経験もいっぱいできたから、今は、良い経験だったと胸をはって言えるけど、それでもやはり、理不尽な顛末であったことは間違いなくて。
 
そして、今。
 
子どもたちも、元夫も、それぞれ自分でやっていってくれるようにようやくなってきてる状況を見るにつけ
「これで私の仕事は終わった」
「これで無罪放免だ」
「ようやく終わった」
と、肩の荷が下りたようなほっとした感覚をじわじわ感じていて、その突然の解放感と一抹の寂しさに自分でもびっくするのです。
 
同時に、自分なりに納得していた今までの暮らしや仕事がそんなにも重荷だったのかと、まるで義務やノルマのように感じていたたのかと、それも自分自身、驚きです。
 
で、ちょうどそんなタイミングで、この子どもたちの言葉を聞いて、
 
ああそうか、私も何か前世にやり残したことがあって両親、とくに母親に「おみやげ」を返しにやってきたかもしれず、また元夫についても、後ろ足で砂をかけて立ち去らず、踏みとどまってできる限りのサポートをしたのも、私が奉仕的な人間だからではなくて、返さないといけない「おみやげ」だったのかも、と。
 
今までやってきた筆文字のサポートや今の暮らしが、なぜか分からないけど「終わった」感じがするのは、持ってきた「おみやげ」を返し終わったからだと考えると、何か、すっと腑に落ちるものがあるのです。
 
 
そういうわけで、なにからなにまで、証明できることはひとつもなくて、ただ自分が腑に落ちるというだけではありますが、多分、私が前世から持ち越してきたものは、すべて返し終わったのだと思います。
 
これからは、誰かのためでなく、自分のために、残りの人生をただ楽しむために、費やそう。
 
そうしてはいけない理由なんてどこにもない。
 
ほんとうに、天から与えられた命は私のものであって、私に、私だけに、それを自由に使う権利があるのだ。
 
…ということが、この映画を見て、すーっと腑に落ちたのでした。

えっと、
映画全体としては、母と子のきずなについてフューチャーされていて、子どもは母親を選んで生まれてくるし、お母さんの幸せだけをいちずに願っているものなのだよというふうな、母親が癒されるテーマの映画だと思うのですが、個人的には、いわゆる子育ての時期を終えているし、自分の母親のこともすでに許せちゃっててそれほど問題を感じていないので、唯一、その「おみやげを渡す」という目的を持って生まれてくることがあるというトピックに、私は特に反応した、ということでした。
 
おみやげを返したら人生終わりじゃなくて、そこからが本当の「自分の」人生(今世)というのが、なんだかとてもうれしくて。
 
私の本当の人生がこれから、55歳から始まって、信じられないくらい発展するってことも、あながち、ないわけじゃないな、と思い。
 
自分の人生、あきらめずに、なんどでもチャレンジしていきたいなと、気持ちが新たになったのでありました。

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