想像だけど、一流の仕事をする人は…

今日は、自分が小学校から中学校にかけて書いていた日記を押し入れから探し出して、読み返した。

改めて読むと、本音をそのままぶつけた文章というのは、文章表現がつたない中にも驚くような迫力がある。

中1の、最後の転校の時なんか、本人があんなにいやがっていたのにどうして誰も話を聞いてやろうともせず、一方的に引っ越したのだろうか。親も親戚も学校の先生もみんな。まわりの大人はみんなアタマからっぽのノータリンだったんじゃないだろうか。。。と、自分のことながら気の毒で、ほんと、同情を禁じ得ない。

転校先で、本人がどんなに苦労したか、きっと誰も気づいていなかったんだろうなぁ…。
子どもなんか、放っておけば自然に友だちができるって、言ってたからな…。

引越を決めた父親はもう死んでしまったけど、あの世に行くときに走馬燈のように過去をふりかえって、あのときの娘の悲しみを理解しただろうか。無理だろうなぁ。放っておいてもちゃんとやっていく子だと思われていたからな。まあ、確かにその通りなんだけれども。

で、私はあのとき、転校したその日に、高校を出たらすぐにこの家を離れて二度と戻らないと決めたんだ。中1の冬に。

当時は気づいてなかったけど、そういうふうに心に固く誓ったことって絶対実現するんだよね。
恐ろしいほどに。

ほんとは、私が望んでいたのは、普通に平和に暮らしたい、好きな街で、好きな友だちといっしょに学校に通いたいという、それだけのことだったんだけどね。

まあ、今となっては遠い思い出。


  
で、何十年も前の自分に久しぶりに会ったような感じで日記を読んでいて、気がついたんだけど、文章というのは、キーワード出現率や定型フォーマットにあてはめて書くんじゃなくて、心の中にふつふつと煮え立ったものがあって、それをそのまま文章にのせて書くんだった!!って思って、はっとなりました。

なんかもう最近、仕事のブログも、商品説明もぜんぜん書けなくて、なんだろうこのスランプって思っていたけど、それはスランプではないのかも。

私にとって文章を書くっていうことは、生きるための必要手段で、言ってみれば呼吸みたいなものなので、書きたくないことを書いたり、興味のないことを書いたりすると、呼吸が苦しくなるというか、書いてることと思ってることが違うので、ものすごく不快感があるのでした。

だから、幸せな暮らしをしたいと思うなら、そういう、中と外が違うようなことは、なるだけしないほうが良い。

それに、本気で仕事をするとか、命をかけて仕事をするとかいうとき、本音では違うことを思ってるけど、表面ではいいことを言う、みたいな態度では、絶対に良いものは作れない。そんな、お腹の中では違うコトを思ってるような文章では、何も伝わらない。
だから、私は、外側の必要性に心の中を無理やり合わせようとするのはもうやめて、心の中で思ってることをそのまんま言えるようなことを仕事にすべきだと、考えるようになりました。

仕事は辛いのが当たり前なんだから、いやなことをがまんしてやらなくちゃいけないと言われて育ち、先日もある人にそう言われましたが、やっぱり、それは違うと思う。

本音でやらなきゃ、一流の仕事はできない。

きっとそうだと思う。
私は一流の仕事をしたことがないから分からないけど。
でも、私に説教をした人たちも、一流の仕事をしていなかった。これもまた事実。
  

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