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【自分用メモ】引き継いだ資産はその人の価値そのものではない

今朝、ウォーキングをしながら考えたことのメモです。恥ずかしいのでSNSへの自動投稿はナシで。
しかし、考えたのはすごいシンプルなことのはずなんだけど、なんでこんなに冗長になっちゃうのか…(~_~;)


大きな家、小さな家、新しい家、古い家。

広い敷地に何棟かの建物。生け垣。庭。屋敷内に大きな樹木。
古くからあるに違いない、お屋敷。

片方には塗装もはげて屋根が傾いたような古くてしょぼい家。

大きな家には立派な人が、しょぼい家にはしょぼい人が住んでいる。
ように思うが、ほんとにそうとは限らない。

もしそのように、大きな家には立派な人が、しょぼい家にはしょぼい人が住んでいたとしよう。
でもその大きな家、彼が自分で作ったもの?
いや違う。
それは彼の先祖が手に入れた土地、屋敷、農地に由来する。

一方で、しょぼい家の住人は先祖から資産財産を相続しなかったかもしれない。

人間はみな、自分として生まれる以前からの資産を引き継いで生きてる。

良いものも悪いものも引き継いで生きてる。
引き継いだものが多かったり少なかったりもする。

家、環境、教育。
身体さえある程度は受け継いだ資産。
自分の肉体を構成している全細胞の遺伝子に、自分由来の部分なんてないに等しい。すべては両親から引き継いだ遺伝子に過ぎない。

言われてるように、努力すればなんでもなれるわけじゃなくて、優れた身体能力をある程度、両親(それもまたその両親の遺伝子に過ぎない)から受け継いで持っている人たちが、その上に努力を重ねてアスリートになっていく。

決して全員がゼロから同じスタートを切ってるわけじゃない。

私たちは全員が、生まれた場所で受け取った環境要因のゆりかごで育つ。

もちろん身体だけでなく、精神だって生育環境の影響を受ける。私たちを構成するほとんどの部分が、先祖由来とも言える。逆にいえばそれがその人が生まれ持った資産だ。

そんな中で、自分に与えられた資産を使うか放置するか。
活かすか無視するか。
その部分だけは、私たちの自由意志でコントロールできる。

やるかやらないか。

使うか使わないか。

しかしそれ以外に私たちがコントロールできるものってあるだろうか。
他人の評価はコトロールできそうでいて実はできないし、天変地異や病気、事故など防ぎようのないことが次々と起きてくる。

そんな中で、私たちに許された唯一の活動は、自分に与えられている能力を最大限活かす。
今できることを最大限やる。
それだけ。

やってもダメだとか無駄だとか思ってやらない自由はあるけど、じゃあその他に何ができるかというと、特に何もない。

人生って、意外にシンプルだ。

偉い人のようにならなくてもいい。どのみち自分以外の者にはなれない。

成功するかどうかも二の次だ。成功の定義によって評価は変わるのだし。

だけど、全員が等しく与えられている「環境」や「受け継いだもの」を活かしてできることをやりきるってのは、全員が等しくチャレンジできることだ。

なにも社会的に経済的に成功するだけが成功とはいえない。

広大な屋敷に住んで、資産もいっぱいあったとしても、病弱で孤独で生き甲斐もない人生かもしれない。傾いた家に住んでても、それは彼が自分の力で手に入れた家で、誇りの持てる人生を過ごしてるかもしれない。

家だったり、職業だったり、見た目だったり、財産だったり、そういう、本人(=生まれたままの魂の状態のその人。その人の中身。)の外側にある事象でもってその人の価値を評価しようというのは、正しいように見えて実はあまり意味がない。

人生の価値は、生まれてきて、死ぬまで生きてて、その時間の中で、できることをやる、ということだけで、たとえ何もせずに無為無策に生きて死んでもそれはそれで、その人がそういう資産を受け継いでそれを活かしたらそうなったっていうなら、それでいいんじゃないだろうか。

多くの人を一線に並べて、特定の基準でもって評価するゲームは、学校教育って呼ばれてて、人間を管理しやすいので社会でもそのルールを利用して管理されてるけど、だからといってそれが唯一無二の絶対のルールっていうわけじゃない。

ほんとうのルールはここにある。

人が、今回の人生において与えられた「初期設定」を使って、生まれてから死ぬまでという、区切られた、有限の、ひとかたまりの時間=体験をどう使うかは、その人が決めること。

それだけが人生の基本ルールなんだ!

…って、歩いてたら、はっと分かった。
なんでか分からないけど、突然そう思った。

そして思ったのは、私ってずいぶん「世間」に洗脳されて生きていたんだってこと。

みんなが求めてるものを自分も欲しいと思って努力してきたんだけど、それ、ほんとはあんまり欲しくなかったかもってことが、最近はいっぱいある。
でももう、それを手に入れなかったら「世間」の評価は下がる一方だったとしても、欲しくないもののために基調な時間=人生を賭けるわけにはいかない。

年を取るってのはただ老いて人生からリタイアしていくことのように見えていたんだけど、実際に自分がシニアな年齢に近づくと、それどころじゃなくて、減っていく残り時間をいかに有意義に使うか、若い頃より何倍も真剣に考えるし、欲しいものに対してはよりどん欲になって(だって残り時間が少ないんだから、急がなくては)

のんびりした老後なんて、私には訪れそうにありません。

のんびりした老後って、すべてをやりきって、結果に満足した人たちがいただく、ボーナスみたいなものなのでは?

と、55歳の現在、思いますけど、ほんとのところはその年代にならないと分からないですねー。

そういえば55歳になったので、イオンシネマのシニア割引などが適用になりますよ!
スターチャンネルのほうでも500円で映画が見れるキャンペーンがあるようなのでそれも期間中に利用しなければ!です(^^)v

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