この記事は2013年12月14日に書いたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください

いろいろあった一週間。あとは前へ進むだけ。

クリエイターズマーケットに行ったのはちょうど1週間前。
あっというまの1週間だった。

というのも月曜日におばあちゃん(義理の母)が亡くなり、翌日がお通夜でその次がお葬式。
その次の日はエステに行って(すみません、予約いれてたんで…)
昨日は筆文字の新しいサンプルを作ったり、いろんな買い物をしたりして、1日が終わった。。。

今日はつとむが関西方面に実演販売で出張。
ようやく、ほっと一息。さて今日は何をして過ごそうか。

見たいドラマもあるけど、資料として読まないといけない(と自分で決めた)本が、5冊くらいある。

本を読むのは私の唯一の楽しみで生き甲斐でもあるので、楽しみのためではなく資料として小説を読むなんて未だかつてやったことないけど、前に進みたいと思ったら何でもやるしかない。

ていうか、筆文字でも何でもいいんだけど、「うまくいくかなー、ダメかなー」と考える、その時間が無駄。
だって、考えても結果は出ない。
いったんやるべきと思ったなら、淡々と、ただやるだけでいい。

だいたい、私の生活には、無駄なものや思いが多すぎた。

お葬式だってそうだ。

死なれて本当に悲しかったお葬式は数えるほどなのに、いつも悲しそうな顔をして見せていた。
無駄なことだ。

本当に悲しい人だけが涙を流したらいいし、義母のように90歳近くまで生きて大往生の人生には、むしろ尊敬と拍手を贈りたい。

義母の死そのものは悲しくなかったのに、アタシが不覚にも涙を流してしまったのは、初七日の法要が終わって最後の、お坊さんのお話で、若いお坊さんだったんだけど、こんなお話し。

「咲く花がきれいと思うのは、それがやがて枯れてしまうからで、枯れてしまうものなのに今はこんなに美しいから美しいと感じるのだ。それと同じように、人生も、いつかやがて終わってしまう、それなのに今、生きているからすばらしいのである。だから、死んでいくことが不幸だとか穢れだとか、仏教ではそんなことは思いません。ただ、残された人たちがその人の死を受け入れていくのに7日間くらいはかかるから、7日後に本当に送り出すという意味で、初七日というものがあるのです」

木訥とした語り方で、行きつ戻りつしながらのお話で、当然、だーれも泣いてなんかいないんだけど、なぜか私だけ、その、散っていく花だから美しい、っていうくだりがツボにはまって、そのあとはすべての言葉が胸に刺さって感動して、気がつくと大粒の涙をこぼしていたのでした。

恥ずかしいったら。
『千と千尋…』のラストシーンで泣けてしまって、明るくなってもまだ涙が止まらなかった時と同じくらい、恥ずかしかったです。

だけどほんとに、この世って不思議です。
なんでこの世があるの?って、小さい頃、いつも思っていました。
というのも、なんか、この世じゃないところから自分は来たという感覚が強くあったので、この世のありようが、奇妙に思えることが多かったんですよね。

それから何十年も、周りの人の真似をして、普通の人のふりをすることに汲々として生きてるうちに、そういう感覚も薄れてしまったけれども、ときどき、ふと、周りをみると「知らない人ばっかり!」と思ってびっくりしたりします。

私は現実に転校が多くて「私は転校生」と思いながら学生生活を送ったけれども、もしかしたらそれ以前から、生まれたときからどこか「よそ者」だったかも。

今も特定の集団に所属することがイヤだし、仕事もそれで自営業していますけど、これってもともとの性質で、生まれつきの一匹狼なのかも。

なんかそんな気がしてきました。
お葬式とは全然、関係ない話ですけどね。。。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク