この記事は2013年11月20日に書いたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください

生々流転

今日、外に出た瞬間「冬の匂いがした」。
これ、なんかの歌の台詞だよなーと思いつつ、「ほんとに冬の匂いってあったんだ」とか、ぼんやり考えていた。

ちょうど一週間前に、猫エイズらしき病気で具合が悪くなって去年くらいからうちに居ついていた野良猫の「親分」(なまって「おやびん」と呼んでいました)が、ついに死んだ。

うちには飼い猫が他に5匹いるのに、誰もいないくらい静かな暮らしが戻ってきた。
病気の猫が一匹いるだけで、ずいぶんエネルギーを使っていたのだと、いなくなってみて初めて気づく。

考えてみれば、去年くらいから立て続けに、いろんな猫が病気で死んだり、歯肉炎がひどくてものが食べられなくなったりして、ずっと猫の食事の心配が続いてたので、これでようやく、普通のドライフードを食べる猫だけになってくれて、正直ほっとしている。

うちで飼ってる猫はドライフードが大好きで、人間が食べるものにはあまり興味がない。それに対して、外から侵入してくる野良猫たちは総じてグルメで、肉でも魚でも、高いものほど喜んで食べる。
小さい頃から野良猫として、他人の家のものを盗み食いするせいで、味覚が人間ぽくなってるのかもしれない。
塩分が濃いものでも平気で食べるので、多分、健康には良くない。

でも最近では外で自由にしてる野良猫はたいがい猫エイズにかかって早死にするから、塩分の取りすぎはさほど問題でないかも。
うちの猫は子猫のうちに避妊や去勢をしてしまうので、猫エイズにかかることはないんだけれども。

しかし、おやびんもいなくなり、これでようやく、他人(猫を含む)の世話から解放されて、自由になれるのかしら。と思うと、うれしいけど、ちょっと寂しい気もする。

とにかく、最近、どんどん余裕がなくなってきてる。

時間がないって焦るような気持ちになってる。

たとえば就職した先をすぐやめてしまった長女はもう半年も無職で、この先どうするという見通しもないみたいだけど、まじほんと、心配してあげる余裕がない。
たとえ自分の子どもであっても、自分の人生にせいいっぱいすぎて、他人のことまで心配する余裕がないんだ。

40代の頃だったらもっと心配して、ああしたら?こうしたら?こんなのはどう?と、いろいろ調べてアドバイスしたり、知人を頼ってアルバイトを探したり、あれこれ世話をやいたんだろうと思う。

でも今、ほんとに、そんな場合じゃないって感じ。

それに、我が子とはいえ、しょせんは他人の人生なので、どうするのがいいのかなんてわかんない。
「私だったらこうする」とか「経験から、私はこういう人生を選択した」という話ならできるけど、決めるのも、行動するのも、本人がやることだし。もう大学も出て、成人だしね。

とにかく、私は、今日やれることを、今日やれる分だけやって、1ミリずつでも前に進むしかない。
その先に明るい未来が待っていようといまいと、先に進む以外に、できることはないんだから。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク