この記事は2013年1月8日に書いたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください

先生だったのは竜宮城で見た夢か

今日は新年最初の英会話教室で、雑談をしていたら(というか、家族のことを話そうというトピックだったので)、子どもの学費が大変だという話から、奨学金の話になって、愛教大では、先生になれば免除される奨学金があって、私もそれを利用したので、ほとんど返済せずに済んだよ…ということをぽろっと言ったところ(返済免除とか英語で言えないので、奨学金をスカラーシップと言った以外は全部日本語で)(・・;)

「えーーー、いくこさん、学校のせんせいだったの!」

…って。
居合わせた全員にびっくりされたけど、この教室もう2年目で、自己紹介もさんざんしてるっていうのに。
最初の頃、私が英語で言った、「20代の頃、中学校の先生をしていました。学科は日本語(国語)です。」っていうのを、理解していなかったのね、アナタタチ!!

って思ったけど、まわりは全員、「そんなことはない、絶対、聞いてない」というので、もしかしたらどこかで時空がずれて
「中学校の先生だったことを自己紹介で言っていない現実」
に紛れ込んでしまったのかも。
なんて思いました。

ほかにも、覚えてるはずのことを信じられないくらいきれいに忘れてるとか(先日の大空祐飛DVDみたいに?)、ああいうのも、一時的に、違う時空に飛んじゃってたんだと思うと、なんとなく納得できるような気がします。
なんて、ただ自分の物忘れのひどさを認めたくないだけだけどw

でも、時空うんぬんは別としても、ひとつの場面を居合わせた人が全然違うふうに記憶してるってことは、現実にたくさんあるようで、人間の認識ってそもそもいいかげんなのに、なにをもって「真実」とするのか、よく考えると不思議です。

昔は、世の中には「偉い人」とか「物事をよく分かってる人」とかがいて、そういう人にまかせておけば、政治も経済も大丈夫って思っていたんだけど、どうも最近、そうじゃないような気がしていています。

ひとつには、安倍さんをはじめとする若い世代の政治家が実権を握るようになって、自分とそう変わらない年代になってくると、どう見ても、そう偉い人には見えないということがあります。

高度成長時代に成果を出してきた団塊の世代以上の人たちは、私からするとひとまわり年上なので、偉い人っぽく見えるけど、でも現在の社会情勢は当時と全然違うし、対処する方法論も当然違ってしかるべきなのに、相も変わらず、昔からのやり方を守れ的なことを言っているのを聞くと「それはないだろう」と思ったりします。

これが、年を取るということなのでしょうか。

今年の年賀状に、先生だった時代に、ちょっと年上で、いろいろ教えてもらった世代の先生が、もうじき定年退職と、書いてるのを見ると、なんだかこう、妙な気分になります。

浦島太郎?

みたいな感じです。
つまり、ついこの間まで、若い世代としていっしょにやってたはずの人がいきなり老人になってしまったみたいな。
途中を早回しして、いきなりラストシーンみたいな。

人生って、ほんと、思うほど長くないのかも。

自覚はないけど、私も同じだけ年をとっているはずなので、ちょっと兜の緒を締めなおして、がんばらないと。
思ったことは即実行。
欲しい商品はすぐ入札。( ・`ー・´) + キリッ

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