この記事は2012年11月3日に書いたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください

幸せな暮らし

昨年の3月11日はたしか、何かのWEB制作作業があってパソコンに向かっていたんだけど、震災のニュースが流れてからずっとテレビに集中しっぱなし。
そんな状態で1週間が過ぎた頃には、それ以前にやっていたり、これからやろうとしていた作業に、ちっとも意識が戻りませんでした。

当時は筆文字のUST放送をやっていて、自由に話ができる空間があったのに、震災直後の放送で、私は思ってることを何ひとつ話せませんでした。というのもそれは筆文字の放送で、つとむが何をしてどういう人なのかを伝える番組で、つとむの口から震災の話が出ない以上、それはトピックにはならないのでした。

そして私は、放送中隣に座っていてもつとむが話すことに私はまったく興味がなく、私が興味を持ってることはつとむには全然関係ないということに、気づいてしまいました。
わずか30分の放送でも出演しててすごく疲れるのは、自分が実は退屈しているというのをカメラの前で表情や言葉に出してはいけないと、ずっと緊張しているからだ、ということがはっきり感じられた瞬間でした。

かくして私は、それまでやっていた仕事や私的プロジェクトや趣味のすべてが、私が本来興味を持っていることと違うってことにも気づき始めてしまいました。

筆文字の販売も、WEBサイトのアクセスと売上アップも、つとむを売り出すプロモーションも、宣伝活動も、お金を儲ける手段を考えることも、人脈を作るために勉強会に参加したり主催することも、ほとんどすべてが、他人の空真似なのでした。

私はずっと自分に自信が持てなくて、特に41歳で収入がゼロになった時は、やっぱり、これは自分の生き方が間違っているせいだと思い込み、それ以降は、必死に他人のやってることを見て、その方法をひたすら真似しようとしていたのでした。

私自身が、自分の感じてる何かを表現できているかとか、自分自身がそれをやっていて楽しいと思えるか、などという観点はまったく無視していたのでした。

でも、あの震災の映像は、まったくこの世に起きている事実とは思えないほど衝撃的で、私が自分の中に作り上げていたお話を全部吹き飛ばすくらいのインパクトがあったのです。
あの、圧倒的な真実を見てしまったあとで、自分が描いていたちっぽけな未来図など跡形もなく消し飛んでしまい、二度と戻ることはありませんでした。

それでも、実際にすべてを投げ出したのは今年の1月のことで、震災シンドロームからおよそ10ヶ月が過ぎていました。

その日もつとむとミーティングをしていたのですが、自分がしゃべってることが、以前のやりとりの繰り返しになっていたのに話しながら気がついたのです。売上アップのためにアイデアを出して欲しい、このことは私ではなくあなたの夢のの実現なのだからあなたが自分で前に出て自分で新しいことを切り開いてほしい。私にはこれ以上提案するアイデアもなければ情熱もない…。

もう何度も何度もくりかえし言ってきたそうしたメッセージを、自分はなぜ、今また、繰り返しているのだろう?
いったい、何が間違っているんだろう?
なぜ、わたしはこのアリ地獄のような退屈なことから抜け出せないんだろう?

話しながら自問した瞬間、ほんとうに、電球に明かりがつくみたいに、ぴかっと答えが分かったのです。
それは、私がやめないから続く、ということです。

私がいて、いつもリードして、雑用や作業は全部やってくれると思えば、誰だってそれに依存するでしょう。
「あなたはこんなことをしてる人じゃないんだから、自由になって、好きなことをやってくれ」
と言って、私から筆文字を取り上げて引き受けてくれる人なんか、誰もいないのです。

だったら、自分から消えてなくなればいい。

誰も二度と私に頼れないように、存在を消してしまえばいい。

…ということが「ぴかっ」とひらめいたので、していた話を途中で切って「悪いけどあたし飽きちゃった。こんなの全然つまんない。もうこれ以上続けても同じことの繰り返しが続くだけだから。あたし筆文字やめるわ」と言ったのを記憶しています。

その日から今まで、一瞬のゆらぎもなく、私は筆文字販売も、つとむを支えて立ち直らせることも、全部、投げ捨ててしまいました。
今は、お金の管理をしつつ、好きな本を読みドラマを見て、優雅に過ごしています。
お金の心配も、するのをやめました。
収入が減った月もあったけど、それでもじっとがまんして、面白いと思ったことだけ手を出すけど、それ以外は全部放置しています。

結局、大事なことは、あらゆる制約から自由になることです。
自由になるためには、この先何があろうと、自分が退屈だと思うことには絶対に参加しないと、固く決意して、それを貫くことです。
その結果、誰に憎まれようが、どんな不幸なことが起ころうが、泰然と、ゆらがずに、ここにいるということ。

その覚悟を決めるということ。

それが自由への第一歩であり、自分の本来の人生というか、ほんとうにやりたいことの方角へ顔を向け始める第一歩なのでした。

今は、何も成し遂げず、何者でもないけれども、今までの人生の中でいちばん幸せです。
毎朝起きて、ああ今日も筆文字のことを考えなくていいんだと思うだけで、天にも昇る心地。
そしてもう二度と他人のWEBサイトを作らなくていいし、興味を感じない人と会って礼儀正しいビジネスマンのように振る舞わなくていいんだと思うと、宇宙を丸ごと抱きしめたいような幸福感。

なにもないということが、こんなにしあわせだとは。

願いを叶えるっていうけど、まずは、いやなことをやめてみれば、人生の幸福の半分は手に入ると思いますね。
残りの半分は、自分がやりたいこと、楽しいこと、やりがいを感じることを実際にやってみて、感じるものだと思いますが、でも自分の幸せキャパの50%が手に入っているならそれはすでにじゅうぶん「幸せな暮らし」と呼べるレベルだと思います。

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