この記事は2012年7月24日に書いたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください

追悼・ミーちゃん

ブログには書いてなかったようですが、うちの三毛子を産んだ♀猫の「ミーちゃん」という、三毛猫がいました。
去年かその前の年にお医者さんに「脾臓に腫瘍がある」と言われたけど「手術で完治するかどうかは、開腹してみないと分からない」とのことだったので、長期間の療養になるのも可愛そうだし、もともと野良猫で、行き場がないので引き取っただけという事情というのもあり、手術は見送り、自然にまかせることにしました。

そして、多分、他の猫より短いであろう寿命を最大限楽しめるように、食べたいものを食べさせ、かわいがるだけかわいがろうと決めました。

ところがこのミーちゃん、小さい頃に料理屋さんのご夫婦に飼われて、お店の残りもののエビや魚などを食べて育ったため、とんでもないグルメ猫。

ドライフードや缶詰には早々に飽きて、人間の食べてるものを食べたがるように。
焼き魚や、揚げ物が大好き。

今年になって、いよいよ痩せてきたので、いつでもいっぱい食べれるように、マグロのアラを、わざわざミーちゃんのために買ってきて煮てやったり、切り身の魚は一切れ余分に買って、ミーちゃんにたべさせたり。

味付けは、人間と同じくらいの、濃い味が好きでした。
猫の健康には悪いんだけど、ミーちゃんの場合は、そこで薄味にしたところで、寿命が延びるとは思えないので、好きなように食べさせました。

気がつくと、毎回の食事のたびに、いっしょに食卓を囲み、朝は明るくなると同時に食事をくれと起こしにきて、まるで人間の子どものようになついていました。

そんなミーちゃんですが、この数週間調子が悪く、数日前からは思うように食べられなくなり、昨日は朝から立ち上がるのがせいいっぱいで、とうとう夜に、力尽きて、亡くなってしまいました。

もう最初から、この日が来るのは覚悟していたのですが、いなくなると寂しくて、もっともっとミーちゃんに、おいしい魚を食べさせてあげたかったなって、残念でなりません。

他の猫たちは、あまりそういう、人間的な食べ物に執着しないんですよね。
キャットフードがけっこう好きだし、自分で好きな時に好きなように食べて、さっさとどこかへ行っちゃって、ミーちゃんみたいに食事時になると必ず、どこからともなく現れてスタンバイしている、という習慣がありません。

今日、たまたま全員が家にいたので、みんなでミーちゃんを火葬場に持っていきましたが、私はなんだか、もうこれで最後のご奉公が終わったような。。

もうこれで、人間の家族にも猫にもやってあげられることはすべてやりきってしまったなって、そんな気持ちになりました。

いっぱい猫を飼っているので、猫が死ぬのは4回目くらいだし、目の前で死ぬのを看取ったのも2回目なんですが、猫も人間も、どうして死んじゃうんだろう、というか、そもそも、何で生きてるんだろう、というか。

死んじゃうために生まれてきてるのかな、とか。

いろいろ考えました。
死んじゃったミーちゃんを見ながら、この死骸は抜け殻だと思うけど、じゃあミーちゃんはどこへ 行ったんだろうって考えたら、

どこへ行ったかは分からないけど、確かなことは、見えない姿になってこの世界にいるってことじゃなくて、まったく次元が違うので、見ることも触ることも感知することもできない別のレベルへ行った、というか戻ったんだって、なんとなく、思いました。

そちらの世界に行ったときに、ミーちゃんがまだミーちゃんのままで、いるかどうかは分かりません。
ただのエネルギーに戻って、宇宙に紛れてしまうのかもしれません。

人間が死んだ場合は、魂が成仏するようなイメージを持ってるけど、猫と人間で、起きることが違うかどうかは、分からないですね。

そういうわけで、この記事のために、ミーちゃんの写真を探したけど、ちゃんと可愛く映ってるものが探せませんでした。それくらい、最初は、しょうがなく引き取ったどうでもいい猫だったんですけどね。病気が分かってからは、一生懸命世話をさせてもらったし、ミーちゃんも私を信頼して、なついてくれたと思います。

死ぬのを止めることはできないけど、生きてる間にできることは全力でやってあげたつもり。
私にできるのは、そこまでです。。

2007年に、一番好きだった白猫のピースケが突然死んだときは、もう自分の人生はいいから、今すぐピースケといっしょに行きたいって思ったけど、今は、人間や猫は死んだあとどうなるのか、そもそも、なんで命があるのか、私たちは、どこから来て、どこへ行くのかが、知りたいです。

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