この記事は2012年5月27日に書いたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください

小牧中学校:短い期間だったけど最初の人生の転機が起きた場所

昨日、eXeの総会に参加する前に、ちょっと足を伸ばして、小牧まで行ってきました。
目的は、「昔自分が住んでいた頃の面影発掘」です。

なにしろ、GoogleMapで何度見ても、私が通っていた小牧中学校がなくなっているので、一度、直接見て確認したかったのです。

入学したのが1973年の4月で、次の場所へ転校したのが同年11月ですから、夏休みを抜いて正味8ヶ月くらいしか通っていなかった小牧中学です。
引越してからは一度も訪問していないので、どんなに変わってるかと思ったら、案の定、まったく様変わりしていました。
芝生のあたりはグラウンドだったと思われますが、跡形もありません。

当時の校舎は、この斜面に3棟建っていたはず。きれいに整地されています。

案内図でいうと、右下の、黄緑色の部分が中学校として利用されていて、運動場はカーブした細長いエリアで、普通の、長方形の運動場ではありませんでした。

小牧市/史跡小牧山案内図

今にしておもえば、あれは学校としては、どうなのよ、という運動場でしたね。
野球はできても、サッカーコートは絶対無理。
移転したのは正しい選択かもですね。

それに、小牧山はもともと、戦国時代に信長によって城が作られて、あの、秀吉と家康の一騎打ちで有名な「小牧長久手の戦い」の現場なので、こうして史跡として公開されているほうが自然な姿かもしれません。

市内も少し歩いてみましたが、当時住んでいた家は、こちらもあとかたなく消えていました。
家というより、その敷地全体が区画整理を受けて、違う場所になっちゃってる感じ。

1973年といえば、昭和48年ですが、当時はまだ、あちこちに「空き地」というものがあって雑木林のまま放置されていたり、護岸工事がされていない「用水路」とか、くねくね曲がった農道のような小道とかが、至る所にありました。

今は、小さい用水路はみんな直線的な暗渠化されて、道路として使われていたりするので、当時とは、見た感じが全然、違うんですよね。

自宅があったあたりを散策したあと、お祭りの時に歩いた商店街を探しに行きましたが、当時と似ているような、似ていないような。まぁ…全然知らないどこかの街って、感じです。

多分、道幅を広げたり、景観工事をしたりしたので、雰囲気が変わっちゃってると思います。

どっちにしても、ここには9ヶ月くらいしか住んでいなかったし、もともとあまり知りません。

それに、親から「小学校は3回も転校して可愛そうだったけど、中学の3年間だけは転校しないで同じ学校で過ごさせてあげるからね」って言われて4月に守山区から転校してきて、その舌の根も乾かぬうちに、夏にはもう「関市の家に引っ越すから」と言われていたので、私はものすごくがっかりしていて、どうせ引っ越すんだからこの小牧で親しい友だちを作ったって無駄だわ、と捨て鉢な気持ちでいたので友だちもできず、友だちといっしょに街中を歩くことがなかったせいで、学校以外はほとんど知らないのです。

どこの学校にも、同い年の子どもたちがいっぱいいて、中には、私と親しくなりたいと思っててくれてる子もいたと思うんですが、自分自身がそういう気持ちでないと、親しくはなれないものです。

それに私は、西区に住んでいた時の友だちが忘れられなくて、いったん好きになっちゃうと別れる時がつらいので、もう親友は作りたくないって思っていました。

小牧の次に住んだ関市でも、いろんな友だちとかかわりがありましたが、私としては、あまりにいいかげんな親に、辟易としていて、とにかく早く高校を出て親元を離れようと、そればっかり考えていて、友だちと楽しく時間を過ごそうなんて気持ちにはついぞなれずに、関から逃げ出しました。

これも、別に、関の子どもたちに非があるわけではなくて、ただただ、親がイヤだった、って、それだけなんですけどね。
中学・高校時代って、心置きなく友だちと過ごせる貴重な時間なのに、もったいないことをしました。
かといって、戻りたいとは全然思わないけれど。

父は、戦中育ちで学徒動員直前に終戦を迎えた年代で、自分自身、人として尊重されることなく育った世代なので、子どもの気持ちを思いやるなんて無理だったってことは、理解しています。別にわざと私を傷つけるつもりではなかったのでしょう。

でも、私は高校を卒業していったん実家を出たらもう二度と戻りたくなかったし、数年前に父親が亡くなったけど、今もぜんぜん寂しくも悲しくもないというのも、事実です。
その理由の大部分は、この小牧に住んでた頃のあれこれに起因するなぁと、どこぞの知らない町のようにしか見えないかつて住んだ町を眺めてみて、改めて、確認できた次第です。

とにかく、父も母も、戦中戦後のさまざまなトラウマをもろに引きずったまま私の子育てをしていましたから、多くを望むのは無理なんですが、それにしても、この町を去るのは悲しすぎた。
あのまま、小牧に住んで、小牧高校とかに進学していたら、その先の人生はやっぱり、変わっていただろうか。
関に住んでいたから、とにかく実家を出たいばかりに県外の愛知教育大学を受験したけど、もし小牧に住んでいたら、果たしてそういう選択をしたかどうか。

考えても無駄と知りつつ、やっぱり何度も考えてしまう、幻のパラレルワールドです。

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