この記事は2011年4月25日に書いたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください

誰にも愛されなくても神様だけはいつも。

ここ数日、毎晩、同じような夢を見ます。
毎回、問題をかかえて困っている人が私に相談してきて、私が、問題の解決法を考えて、その人たちの代わりにやってあげるという話です。

3日くらい連続でそういう夢を見て、朝起きるとぐったり疲れて、「なんで私が」と被害者意識さえ感じてむかついているということが続いていました。

そして、昨日の夢では、どこかの知らない村で、十数人の子どもたちを託されて、この子たちを今晩中に逃がさないと大変なことになる…と言われ、私が知恵を絞って作戦を考えて、裏山の急斜面をよじ登って、尾根伝いに逃げるしかない、今すぐ出発しないと!…と、みんなに指示して、地図などを用意している夢。

支援してくれるおとなの人もいっぱい出てきて、装備とか食料とか用意してくれるんだけど、なぜか、連れて逃げるのは私という設定。

夢の中ながら、ここまで見たとき、「なんでアタシが?あんな急な坂、登りたくないし」と思ったら、坂を登るシーンはカットされて、次のシーンでは、無事に坂を登り切って、山頂の隠れ里みたいな村に保護されて、子どもたちは安全を確保され、私は任務完了…という展開になりました。

なんだそれ…(@_@;)

でも、夢で起きてることは、まさに私の実生活と同じ。

必ずしも私が引き受けなくてもいいようなことを次々と引き受け、必死になって走り回って、あげく、自分には何のメリットも利益も残らないどころか、楽しい思い出さえ作れてないという展開。

ボランティアも人助けもすばらしいことですが、私の場合、納得して引き受けているんじゃなくて、気がつくとそういう展開になってしまうというところが問題です。

いつからこういう人生になっちゃったんだろう…。

でもまあ、ここで気がついたからには、自分で変えることもできるようになるでしょう。

野の百合のように、人間は、ただ生きているだけでも愛そのものなわけですから。
私も、他人の役に立っていなくても、生きてる価値があるに、違いない。

人の役に立たない私は世界から必要とされないかもしれないけど、それでも、神様(創造主、宇宙意識、あるいはそれに類する何か大きなもの)だけは、いつも私と共にあると信じたいと思います。

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