この記事は2011年3月23日に書いたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください

私の個人的被災によるPTSDと、新たな気づきについて

震災からの復興、被災者支援、被害に遭った人を支えよう、がんばれニッポン、など。

前向きな言葉が、いちいち肩に重くのしかかるし
どうにもデジャブ感が強くて、「ええー?また?」っていう感じがぬぐえない。

でも私、阪神淡路とか、その他の震災に被災してないし、なんでこんなに、「せっかく終わったのに、またやれっていうの?」っていう、肩の荷が重すぎる感じがするんだろう?
と考えていたら、思い当たりました。

2001年に、地震もなにも起きてないのに、私のうちだけ、被災したのでした。

突然の夫の引きこもり、経営していた会社の破綻と整理、引っ越し、底をつく貯金、うつがひどくてうずくまるだけの夫のケア、その日の食料を買う現金を求めて走り回る日々、売れるものはすべて売り払ったヤフオク生活、それでも子どもに心配かけまいと何事もないフリして、心の中では毎日泣いていたあの頃。

1年間はほんとに必死。ただ夢中。
そのあと夫がいったん勤めに出てくれて落ち着きを取り戻し、1年後、また仕事をやめて筆文字一本になる頃には、自分のWEB制作の仕事も多少稼げるようになっていて、その頃ようやく

「この先、どうしていこうか」

ってことを考えられるようになったけど、ほぼ5年くらいは生きた心地がしませんでした。

そこからようやく、
・セカンドライフをやってみるとか
・会社組織にしてみるとか
その他いろいろ、まがいなりにも戦略めいたものを考えられるようになったけど、そんなのここ数年の話。

おととしくらいから、ウィンドサーフィンや水彩画など、気分転換できる趣味も見つけて、ようやく、人間らしい暮らしができるようになった矢先。

こんどは東北の人が大変になっちゃったから、チームニッポンでがんばろう!そら復興だ義援金だチャリティーだって言われても。つらーい。

だってあのとき、私の個人的被災については、どこからも支援の手はさしのべられなかったのに。
私はほんとに、濁流の中を廃材につかまって漂流しながら、だんだん大きい廃材をみつけて乗り移って生き延びているだけで、今も他人の船に乗って舵取りの手伝いをしてる感じで、

…これはほんとに私の人生なのかな

と思ったりします。
ほんとは私、あの個人的被災時に自殺とかして死んじゃってて、今みてるのはただの夢なんじゃないかしらって、ときどき現実感がなくなるくらいです。

でもまあ、乗せてもらってる筆文字販売という船は、横でみてるだけでもたくさんの感謝をいただけるのですごく癒されますが。…やっぱりこれ夢じゃないのかな。私の人生じゃなくない?という思いにはとらわれます。

まぁ…夢なら夢でいいから、あとは楽しい夢を見させてもらおう。
がんばるとか、再建とか、支援とか、ほんとにこれからの未来のある、若くて気力も体力もじゅうぶんな人たちに、おまかせして、どこかで静かに暮らしたい。

…ってことが言いたかったんじゃなくて(^^;

私が支援したいと思うのは、だから、そういう、世界の片隅で、誰からも顧みられなくて、だけど自分の力でなんとしても生き延びていこうとする「個人」なんだって、強く思います。
それは震災があろうとなかろうと、どの時代でもどの国でも。

それが今回の震災で、私がみつけたひとつの「答え」です。
そうね。
自分自身、震災にあってもおかしくない地域にいながら、今回も無傷で生き延びているのは、多分、まだここで何かやるべきことがあるからなんでしょう。

いまだにそれが何だかわからないけど、
少なくとも、自分の目で見て、考えたことは表明していく。
ときどき「これはこうなるに違いない」と予感することがあっても今までは「根拠がないから」と黙っていたけど、そいうのも含めて、今ここで、これを言うべきだと思ったことは、受け入れられるかどうかは関係なく、その場で表明していく。

それをやっていくだけで、私自身にも、周囲にも、やがて大きな違いが生まれる気がします。

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