この記事は2011年1月10日に書いたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください

やっぱりすごいかも。オーラソーマのボトル。

オーラソーマのボトルが埃をかぶっていたので、拭いてきれいにしました。

オーラソーマにハマっていたのはいつだったかなーってmixi日記を見たら、2005年頃だったようです。
ボトルの色は、天然色素を使っているため、置いておくと自然に退色します。
飾っていたのは色が残っているボトルだけだったはずですが、今日見たら、すっかり色が抜けきって完全な透明になっているボトルがありました。(手前のボトル)
P1000757.JPG

キャップの数字を見ると44番のボトルですから、かつてはこんなキレイな色だったはず。。

ボトルを見ていたら、当時のことを思い出しました。
突然、夫が引きこもって収入がゼロになった2001年から、私は、なんとかこのピンチを脱出しようと思って、まともな道はもちろん、占いやおまじないなどの、眉唾系の本も大量に読みあさり、できることは全部試しました。今思うと悲しいくらい、道に迷って、先が見えずに、暗中模索していたと思います。

目に見えないエネルギーとか運とか天の導きなどという話は、面白いけど雲を掴むようで、話を聞いたからと言ってお金が儲かるわけでもなし。「だから何よ」という感じも正直ありました。

でもその後、自分から積極的に行動を起こし始めて、やがてセカンドライフや、オープンソースの世界で実際にさまざまな活動をする機会を得る中で、それらの情報が、ようやく腑に落ちて、自分の考え方や生き方に組み込まれて、実際に役に立つようになってきた気がします。

このオーラソーマに出逢った頃は、まだ家計もボロボロで先の見通しも立たないし、自分の仕事にも疑問だらけで、これからどうしたらいいのか、どちらを見ても、苦しくて、悔しくて、不安だらけの毎日でした。
そんな中で、唯一、オーラソーマのボトルだけが、いつ見てもどこで見ても、この世のものとは思えない美しさで、不安や悔しさを一瞬忘れさせ、私の心を、光で満たし、癒してくれました。

自然の色の美しさというのは、すばらしいですね。

すっかり色が抜けてしまった44番のボトルは、私の中の不純なものを、色といっしょに持ち去ってくれたのかも。今日、透明になったボトルを見たときふと、そんなふうに思いました。オーラソーマのボトルには、そんな力がありそうな気がします。

それと同時に、ボトルを見ると、当時は、「こんなピンチに陥ったのは、私に非があるからだ。それまで充分に社会に奉仕していなかったからバチが当たって、夫は働かず、自分は職がなく、社会から見捨てられるようなことになったんだ。」というふうに、毎日キリキリと自分を責めていたことを思い出します。

なんとか人に喜ばれることをして、ペナルティを取り戻さなくちゃ。と勝手に思って、ほんとはやりたくないようなことまでボランティアで引き受けたりして、自分を自分で傷つけるような真似もしていたなーと。

そんなことにも思い当たります。
世間と自分は、持ちつ持たれつ。
本来、どちらかが一方的に奉仕するというようなものではないのにね。

この美しい不思議なボトルは、そんなことまで、そっと教えてくれたような気がします。

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