この記事は2010年10月7日に書いたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください

帰路につく

前のエントリーで「ひとつ終わった」と書きましたが、今日の気分から言うと全部終わった感じです。

この感じ、なんか覚えがあると思ったら、29歳で「もう先生やめよ」と思った時の気持ちとそっくりです。
できることはすべてやりきった。
もうこれ以上やれることはない。

みたいな。

うまくできないからやめるっていうのは、なんか、逃げてるみたいでイヤなんですよね。
自分なりに工夫して、努力して、できることは全部やりきって、「ここまでだ」と納得がいってからでないと、敵前逃亡したみたいで、自分に自信がなくなりそうだし、あとで「もっとがんばれたかも」と後悔しそうだから。

おかげで20代をまるっと棒に振ってしまったけど、現場ではあまり役立たない能力の低い教師だったとはいえ、そこで学んだノウハウは今も、イベント開催とか企画とかに生きているし、がんばったらがんばっただけのことは自分に返ってくるって、自信を持って言い切れます。

それと、いったん納得がいって「やり切った」という確信があるのでもう二度とやりたいとは思わない、というのもあります。
あの、41歳で路頭に迷った時でさえ、学校の非常勤講師に登録するとか、民間の塾や学校で教えるとか、チラッとさえ考えなかったですから。もうその道はやりきったので、これ以上できることはないということに、確信があるのです。

おかげさまで、それまで思いもしなかった、物を売る仕事とか、WEBクリエイターとか(そういう言い方カッコイイ)に挑戦できて、夢だった本の執筆にもちょっとだけど参加できて、ほんと40代もチャレンジ続きだったとはいえ、いい勉強ができたと思います。

だけどそれも、やりきった感が…。
雇われているわけじゃないので、退職などのアクションは起こせないけど、自分の中で、41歳で「むかつきシスターズ」から始めたチャレンジングな活動が、いったん終了したということを感じます。

もう、最先端のWEBの知識の吸収も、ソーシャルネットワークのコミュニティ活動も、各種交流会やセミナー開催も、やりたいことは全部やった感じがしますし、筆文字をはじめとする他のクリエイターさんの仕事も、それがどんなにすばらしかろうと。私には直接関係のないことだな、と感じます。

反面、40歳でやっていた小説を書く作業が途中ですぱっと断ち切られて、登場人物たちも立ち往生したまま放置になってることが、だんだん気になり始めて、あの子たちをなんとかしてあげなくちゃという思いが、私自身の精神的な負担になり始めています。

当時のバージョンでは主人公だった白猫のピースケは、実在のうちの猫だったんだけど、起業直後に、忙しすぎて病院にも連れていけないまま、肺炎で死んでしまったし。

あーまったくありえない。
いつかまたヒマになったら続きを書けばいいやって、軽く考えていたんですよね。
猫も小説も含めて、自分が一番大切と思うものをいとも簡単にそうやって犠牲にしてしまう自分の生き方に対して、どうかと思うわ、ほんと。

実はその話のあとも、ちょっとした小作品めいたものを2本くらい書いたり、むかつきシスターズの出版の企画書を某社に持ち込んで企画会議寸前まで行ったりと、自分なりに本を書くための努力は続けてて、その結果が、セカンドライフ本の中の1章を担当させてもらうという幸運となって結実したと思うんだけれども、コトは本になるかならないかの問題ではなくて、そこに「世界」があることを私しか知らないというのに、売れそうにない話だからといって、なかったことにしようとしている自分が問題。

ピースケと中学生の俊也君は、あれからずーっとその年齢のままで、お話しの世界の中で止まったまま。
大人にもなれないし、どこへも行けず、誰からも顧みられることなく、宙ぶらりんの状態。

しかし、これは物語のなかの架空の人物の話であると同時に、今の私自身にも当てはまります。
ちゃんと自分のストーリーを完成させないせいで、私自身が宙ぶらりんで誰からも顧みられない存在に成り下がっているのです。

どんなにたくさんの人に会っても、何枚名刺を交換しても、この架空の世界が目に見えるようにならない限り、私のことを真に理解する人も現れないだろうということが、よ・う・や・く、分かってきたような。

そういうわけで、
この秋のWordCamp名古屋が終わったら、そういう世界から引退して、元いた場所に戻りたいと思います。
仕事は仕事でやらないといけないけど、無駄にあちこち出歩いても意味ないですからね。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク