この記事は2010年9月15日に書いたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください

中高年的「成功」のイメージは若い人とは違うのです

成功について (内田樹の研究室)

内田樹先生のブログは面白いので、たいへんなアクセス数を稼いでいるようですが、その中身はいわゆる「アルファブロガー」とは一線を画しています。
上にリンクしたエントリーなど読むと、そのことがよく分かります。

IT業界の一攫千金組なら「成功」について、まったく違う視点でエントリーを書くはずです。

若い世代は、成功イコールお金、あるいは大会社の社長になる、高い外車を乗り回す、モデルみたいな美女をつれて歩くなど、ステレオタイプなイメージを追いかけるのが一番、エネルギーの循環が良くなって効率的かと思うけど。

中高年世代にはそういう暮らしって、考えただけで疲れるので(^^;
目標に掲げるイメージとしてはかえってマイナスです。

心穏やかに、静かな環境で、一日の時間をゆったりと過ごしつつ、自分の使命と思い定めた仕事に全力で取り組める。

それが、私たち世代が求める「成功」のイメージじゃないかと思います。
中高年世代をターゲットにしたCMには、よくそういう絵面が見られますよね。
男性にとっては、広い邸宅と高級国産車は外せないファクターかもしれないけど。

ところで、私は先日50歳の誕生日を迎えまして、いよいよ50代の仲間入りを果たしました。
(今年はfacebookとNaviSLというセカンドライフのSNSでお祝いメッセージをたくさんいただきありがとうございました。昔は全部mixiだったんですけどね。お友だちの活動場所が移動しているのがよく分かります)

私はわりと年齢を気にしないタチなんですが、今年に限っては50歳の自分っていうのがうまく受け入れられなくて、年明けくらいから密かに年齢について不愉快に感じていました。

ところで、我が家では今年から、家族の誕生日の日には本人が希望する店へ全員で出かけて食事をする、という新ルールが導入されて、先月8月の次女の誕生日には串揚げ屋へ行きました。
それで、今度は私の番なので、一度行ってみたかった近くの鰻屋へ行ったのですが、その食事の席で、改めて子どもとかから「おかあさん、50歳おめでとう」「半世紀だね」とか、言いたい放題言われたのに、思ったより全然苦にならない。
苦にならないどころか気持ちは非常にせいせいしていて、ふっと、

「ああこれでようやく、人のために生きる人生を卒業して、自分のための人生が始まるんだ」

っていう自分の声が頭の中に響き渡ったりして、マジびっくりです。

子どもたちも、上の子は11月に20歳ですし、下の子も数ヶ月以内に就職先が決まりそうです。
もう私が母親として子どものために活動をセーブする必要は、なくなっていくでしょう。
私が筆文字つとむの世話係を引き受けてきたのも、ひとえにこの子供たちをつつがなく育てるために必要だったからなので、子どもたちの巣立ちと同時に、私が筆文字に果たす役割も終了するわけです。

それはつまり、私にとっては長いこと縛られていた鎖が解き放たれることを意味しているし、多分、私には、今まで発現する機会のなかった才能や能力がまだまだいっぱいあって、それゆえに、50歳にして解放の時を迎えることができたんだと、気の引き締まる思いです。

だって世の中には、子どもが巣立ったと思ったら、親の介護が始まって、一生を他人の世話に捧げる人もたくさんいるわけです。
そういうことのない環境にいられる自分だからこそ、与えられた時間を有効に使って、生まれつき授けられている能力をちゃんとまっすぐに生かして、出し惜しみとかしないで、全力疾走で、いただいたものはすべて世の中にお返しして、全部やりきって、そして穏やかな老後を迎えたいと思うんですよね。

私も若い頃は、自分が成功するために、お金持ちになって、有名になって、注目されたいがために、才能を発揮しなくちゃと思っていましたが、さすがに50歳になると、そんなことより時間切れアウトになることのほうが怖いので、ほんと死ぬ間際になって「ああ、しまった、あのときもっとがんばってたらよかった」なんて思わないように、今できることを最大限やるだけ。それだけですね。

老後の夢は、広々とした田舎の家で、孫ではなくて猫に囲まれてのんびり暮らすことです。
孫の世話はちょっと…ご免被りたい。
居心地のいい老人ホームがあるなら、そういうところで、上げ膳据え膳の生活もいいかもね。
最後はちゃんとお医者さんのいる所で、安心して死にたい。

よく最後は自宅でって言うけど、誰もいない自宅とか死んで発見が数年後なんて怖すぎるので、ぜひ、病院で死なせてください。。

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