この記事は2009年3月21日に書いたもので、内容が古い可能性がありますのでご注意ください

3月17日に、実家の父が他界しました。
78歳でした。
2ヶ月と半分ほどの闘病生活で、最後はさほど苦しまず、すっと息を引き取ったそうです。
何年も入院したり、すごく苦しんだりすることなく終わりの時を迎えられたのは、良かったんじゃないかと思います。

トヨタ系の下請け工場で経理担当のサラリーマンをしていましたが、退職後も役員として残ったり、子会社へ嘱託で通ったりして長いこと働き、それでも数年前に完全に引退して、のんびり碁を打つ生活も楽しんだようですし、まずます幸せな人生だったのでは?と思いますが…どうなのかな、こればっかりは本人にしか分かりませんね。

こういう場合、生きてる間にもっと話をしておけばよかったって、子供の立場としては思うものなんだろうけど、うちの父は一風変わった人で、会話が成立するということがほとんどありませんでした。

私がしゃべってるのと、ぜんぜん別のことを返して来るんですよね。

なので、私が父の話を一方的に聞くことだけが、唯一のコミュニケーションの手段だったのですが、父の話すことというのが、これまた観念的で何の話かわかんない、あるいは超ネガティブな先行きの心配の話ばかりで…。

正直、このひととどうやって会話をしたらいいのか、さいごまで分かりませんでした。
(仕事の話ならちゃんと成立していたようです)

でも、そこは親子ですから、お互いに愛情があるってことは、話さなくても伝わっているし、ぜんぜんOKだったんですけどね。

同居しているわけじゃないので、お葬式が終わって自宅に戻ってしまうと驚くほど喪失感がなくて^^;
マジ、父は千の風になって、花粉をまき散らしながら吹き渡っているんじゃないかと思うくらい、寂しくありません。

おととし、大好きだった白猫のピースケが突然死でしまった時は、全機能マヒになって、涙も止まらないし、何も手に付きませんでしたが…。
多分、実家の母たちは、寂しい思いをしているのだと思います。

私も、これからだんだん寂しさを感じるかもしれないけど、こういう時、子供がいてくれるのは非常にありがたくて、若い人の、伸びていこうとするパワーは、お葬式の場にあっても力強くて、明るい希望を感じさせてくれるものです。

今回、父の遺言で、お葬式は無宗教の家族葬という形にしましたが、その件についてはまた日を改めて。
※これがなかなか好評でしたので、ぜひ紹介しておきたいな、と^^;

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