PLATでワークショップ。そして催眠すごい。という話

5月以来、いろんな流派の心理ワークを勉強したり、
いろんな人に話を聞いたり、
楽筆で心理ワークをやれないか考えたり、

考えたり、考えたり、考えたりしていたら、疲れてしまって(@_@)

私自身は

カウンセラーじゃないし
ヒーラーにもなりたくないし
セラピストもやりたくないし
なんらかのワークをやる人になりたいわけでもない

ということが、学べば学ぶほど明確になってくるし

その上、実のところ、

コーチングにも
マーケティングにも
当然コンサルティングにも

ほんとのところ、あまり興味がなくて、必要に迫られてやむを得ず学んできた、という事実に、

自分でも見ないようにしていた事実に、気がついてしまった!!

それ、気がついてしまうと人生ががらがらと崩れる(と思い込んでいた)ので、あえて見ないように、

あるいは、あまりに無意識で気づかずに、

自動反応的に対応していた、かもしれない。

で、私の結論としては、

だけど催眠には興味がある。

なにがすごいって、ふだん、自分は催眠にかかってないと思って暮らしていたけど、ちょっと催眠のことを勉強したら、なんと、軽い催眠なんて、しょっちゅう入ってる、あるいは入れられているって分かって、

さかのぼれば生まれたときからずっと、両親や学校やテレビや職場や社会全体から、ありとあらゆる局面で、
あれをしてはいけないこれをしてはいけない
あれをしなければいけない、これをしなければいけないと、

まあほんと、ありとあらゆる催眠を入れられていて、それがいわゆる「教育」「しつけ」であって、だから、特定の人だけじゃなくて、全員が必ずなんらかの洗脳(長期間解けない催眠、という意味で)を受けて、それに合意して社会生活を送っているんだけれども、その中で、どう考えても間違ってるとか、どう考えても、私ではなく、誰か他の人の利益誘導のためにそう言われて従ってきたような、理不尽な洗脳もあって、

…なんだこれ…

って感じ。

大きなことだけじゃなく、日常のほんのささいなことが、意外に、今の自分を規制して、生きにくく、不自由にしていることもあり。

生きにくさをどうするかと言えば、ケン・ウィルバーのシャドーワークのように、ひっきりなしにシャドーを解消するワークをやりつづける、そんな人生もありかもしれないけど、

私の好みからすると、大嶋信頼流の、エリクソン催眠でもとから入ってる催眠を解く、というのが、今、いちばん、お気に入り。

前世や霊の話は、私の前でしてくれるな。
見たいと思ったら自分で見るから、余計なお世話はやめてくれ。

同様に、どこのだれとも分からぬ存在からのお告げもパス。
お告げを聞きたいと思ったら自分で聞くから、放っておいてくれ。

だけど、この不思議な催眠の世界は、もっと知りたいし、人間の無意識には無限の可能性がある。
解決するときの感じが、美しく、芸術的。

どろどろしたものをはき出して、浄化したとかいうのも、たとえとしてはわかりやすいけど、ほんとのところどうなのかなと。

人間の本質がそんなに暗く、つらく、醜いものでいっぱいになってるわけがないと、思うんだけどな。

…と、最近考えてるのは、そんなこと。


今日は、次女といっしょに、穂の国とよはし芸術劇場プラットで、康本雅子ダンスワークショップ「あーたの知らない私の知らないあーた」 に参加してきました。

振り付けを踊るのと違って、コンテンポラリーな感じのワークショップは不思議です。ただ遊んでいるようで、それでいて身体は知らないうちに動いていて、終わった後、けっこう疲れていました。

即興で踊るとか、けっこう面白いかも。

頭で考えて分からないことも、身体は独自の方法で全部わかってる、ってことあるかも。

無意識に刷り込まれた洗脳も、身体が自由に動くと、ぽろっと外れちゃったり。しないかな。

そういえば、昔、Jazzのクラスに通っていたとき、先生とふたりでレッスンして、終わったとき、レッスン代のお釣りの計算が、ふたりとも全然できなかったことがあったっけ。計算する脳が停止してたんだよね。振り付けに集中してると、そういうことあるよね。

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