とても面白かったんですが、読み終えたとたんに何が書いてあったか忘れたので、そのうち読んだという事実すら忘れてしまいそうだから、今のうちに書いときます(^^;
科学のジャンルとしては分子生物学系。
アマゾンにレビューが220も上がってるので、内容が知りたい方はそっちを見てください(そんなのありか)(^^;
たくさんのエピソードが紹介されてる中で、1930年代後半にルドルフ・シェーンハイマーという人が行なった実験の話が印象的でした。
普通の窒素より中性子が1個だけ多い重窒素を標識として入れたアミノ酸を、ネズミに食べさせて、体内に取り込まれたアミノ酸がどうなるのかを追跡したのだそうです。
そしたら、それはまたたくまに、バラバラになって体中の至るところに現れたというのです。
バラバラといっても、元のアミノ酸としてどこかに取り込まれたのではなくて、窒素にまで分解されたのち、内蔵や血清を構成するたんぱく質の中に再度取り込まれて散らばったらしいのです。
しかも3日間標識入りのエサを与えていた間、体重の増加はなし。
つまり、エサとして取り込んだアミノ酸の構成分子が体中の臓器の中に散らばる…と同時に、もともとそこにあったたんぱく質が分解されて体外に排出されている、ということになります。
身体の成長が止まった成人では、食べたものは毎日の生活のエネルギーとして使われてしまって、内蔵や筋肉や脂肪や骨なんかは、さほど変化なくそこにあるような気がするんですが、事実はそうではなくて、とにかく毎日、常時新鮮な細胞への入れ替えを行ないながら、全体の構造を維持しているのだそうです。
つまり、私たちの身体はプラスティックのパーツみたいに固定したものじゃなくて、常に流動していて、「流れ」の中にある、というわけです。
そんな化学反応を毎日体内で繰り広げているなんて。
私たちの身体はなんと立派なんでしょう!
昼寝をしてても知らない間にやってくれるわけですから、すごいですねー。
同じ著者の「ロハスの思考」も、よかったです。
ロハスを一過性の、おしゃれなブームとして終わらせないために、科学の目でロハスを語った面白い本です。
人類史を環境の面から眺める「環境史」の本です。
3人の識者による対談(鼎談=ていだん)形式で、人類の歴史を原人の時代までさかのぼって、自然環境の変化と関連付けてふり返っています。
地層に残る花粉の調査などによって、地球の環境は(太古の昔はもちろん)有史以降もけっこう、温暖化したり寒冷化したり、大きく変化していることが分かってきているそうです。
そういえば昔、学校で世界史を習った時に、「○○帝国は蛮族の侵入によって滅亡した」とかさらっと書いてあって、りっぱな帝国がなんで、野蛮な蛮族とやらにカンタンに滅ぼされるのか不思議に思ったことがあります。
それとか「人間は、なんでこんなにたくさん戦争をするんだろう」という疑問も。
ところが、今まで習ってきたそうした世界史に気候変動を重ねてみると、なぜそれが起きたのか、ちゃんと理由があることが分かります。
蛮族が大挙して帝国を襲う理由は、気候変動による食料難だったり。
帝国が周辺の弱小国を次々と侵略する理由は、国の発展途上で自国の自然環境を破壊してしまって農業が崩壊し、食料の自給や燃料の確保のため、よその国が必要になったのだとか。
歴史は決して、ひとりの指導者の思いつきで動くものじゃなくて、必然なんだなーって、妙に納得しました。
もちろん、本書の最も訴えたいことは、未来の地球においては循環再生型のライフスタイルを主流にしていこうという主張で、つまりエコな本だと思うんですが、とりあえず原人時代から今までの世界の歴史を環境変化で切り取るダイナミックさがすばらしく、世界史の理解に役立つ本だなーと思って、読んでヨカッタです。
でもこれ、2000年に行われた対談なんだそうです。
ずいぶん時間がたっていますが、今ごろこの本を読んで「へぇ〜」なんて感心してる私が遅れていたのかな?
とにかく世界史好きな方にはオススメです。新書なので安いし、一般向けに書いてあって読みやすいです(^^)
※mixiなどで携帯で読んでくれてる人、毎回長文でゴメンね…
村上春樹の小説を読んでいると、今いる現実が本当の現実じゃないような、ぐらっと揺らぐような感じがする時があって、精神状態が不安定になります(^^;
きっとみんなそうだよね?
20代の頃に夢中になって読んでいた村上春樹を、今、長女が読破するとか言って読んでいるので、家のあちこちに春樹本が散らばっています。
大半は私のですが、私も全部は揃えてないので、時々、図書館から借りてきたのがそのへんに放置してあって、今日は「スプートニクの恋人」を読みました。
相変わらずの春樹ワールドで、なにいってんだかわかんない部分もいっぱいなんですが、どうしてこうも春樹本に惹きつけられるかに思い当たりました。
「ぼく」と私自身に共通点があるんです。。
「ぼく」っていうのは春樹本の大半に登場している主人公で、全部同じとはいえないけど、どれもかなり似ています。。
「スプートニクの恋人」には下のような文章があって(講談社文庫版の294ページです#検索用)
「ぼくは子供の頃からずっと一人で生きてきたようなものだった。家には両親とお姉さんがいたけど、誰のことも好きにはなれなかた。家族の誰とも気持ちが通じあわなかったんだ。だから自分のことをもらい子じゃないかって想像したものだ。事情があって、どこか遠くの親戚からもらわれてきたんじゃないかって。あるいは孤児院からもらわれてきたんじゃないかって。(…)ぼくは自分がその家族たちと血がつながっているということが、うまくのみこめなかったんだ。それよりむしろこの人たちはまったく赤の他人だと思った方が、ぼくにとってはらくだったな。
(…)ぼくは部屋に一人でこもって本ばかり読むようになった。まわりの世界よりは、本の中の世界の方がずっと生き生きしたものに感じられた。そこにはぼくが見たこともない景色が広がっていた。本や音楽がぼくのいちばん大事な友だちになった。学校でも親しい友だちは何人かいたけど、心を開いて話をできる相手にはめぐり会えなかった。毎日顔を合せれば適当に話をして(…)なにか困ったことがあっても、誰かに相談なんかしなかった。一人で考えて、結論を出して、一人で行動した。でもとくにさびしいとも思わなかった。そういうのが当たり前だと思っていたんだ。
今あらためてこういうのを読むと「やだ、これアタシじゃん」ってびっくりします。
私にしてみれば、物心ついて以来ずーーっと抱えてきた「こういう感じ」を、20代とかでいきなり、本の中で見つけると、もう長いこと求めていた友にようやくめぐり会えたようなうれしさ、懐かしさで、だから文学を読まない私が春樹だけは夢中になって読んでいたんだなぁ…と、分かります。
他の本の「ぼく」も同じかどうかわかりませんが、多くは、失語症になってみたり、数を数えるのにとりつかれたりと、なにかしらの「障害」を体験しているように思います。
当事者にしてみれば、そういうのは生きにくさの根源ではあるけど、同時にアイデンティティの根源でもあるので、トラウマだの何らかの病気あるいは障害だから治さなくてはというように、本人の許可なく治療の対象とされるのはごめんこうむりたい領域。
私が自分のことを「天から降ってきた宇宙人」と表現するのはこういう感覚を元にしているんですが、もちろん比喩みたいなもので、現実空間で宇宙人に会ったことがない以上、自分が宇宙人かなんて分かるわけないです。
だけど、証明できないから否定しようとするのは自由だけど、否定されたからって、元となっている「そういう感覚」が私の中から消えてなくならない以上、他の説明を作り出すだけのことなので、何の意味もないですね。。
否定されると思えば言わなくなる。それだけのこと。「ぼく」のセリフじゃないけど、私も今までの人生、ずっとそれの繰り返しだったわけで。いまさらどうってことないすけど。。
ちなみに、長女に村上春樹の本を「面白い?」って聞くと、「うーん…とりあえず最後まで読める」とかって反応で、じゃあなんで読んでるの?って感じなんですが、大学が国文学科なのに、正直、3年間俳句のことだけ考えて生きてきて、本なんてひとつも読んでないので、入学後に困るといけないとか思って、「ネタ仕入れ」的に読んでるみたいです。
邪道ですね(笑)
でも読まないよりはいっか。。
でもアタシの現役の時は、カッコイイ文学者といえば三島由紀夫あたりだったのが、今や村上春樹なんだなーって、奇妙な感じ。
(私、自慢じゃないけど三島由紀夫一冊も読んだことないス)(・・;)
なにせ私の大学時代は、まだ村上春樹デビューしてなかったもんねぇ。。
それが今や世界中で読まれている大作家ですからねぇ。。
(最近、年を感じる…)
内容についてはAmazonからコピペ
2050年、そして2100年、世界の“中心都市”はどこか?国家、資本主義、宗教、民主主義は、どうなっているのか?「ヨーロッパ復興開発銀行」初代総裁にして経済学者・思想家・作家であり、“ヨーロッパ最高の知性”と称されるジャック・アタリ。これまでも、ソ連崩壊、金融バブル、新たなテロの脅威、インターネットによる世界変化を予測し、見事に的中させてきた。本書は、アタリが、長年の政界・経済界での実績、研究と思索の集大成として「21世紀の歴史」を大胆に見通し、ヨーロッパで大ベストセラーとなったものである。サルコジ仏大統領は、本書に感銘を受け、“21世紀フランス”変革のための仏大統領諮問委員会「アタリ政策委員会」を設置した。
未来を予測する本というのはだいたい、これから行なう予測に先立って、過去の歴史を総括するところから話が始まる構成になっているんだけれども、この、歴史の部分がとても面白いので、未来予測の本が好きです。
歴史ったってなにせ長いので、どのエリアのどれくらいの期間を切り取って総括するかによって、見えてくるストーリーが全然違ってきます。
以前紹介した『クラウド化する世界』では、産業革命の頃にヨーロッパで何が起きたかをふり返って、現在のネットワークコンピューティングが社会に及ぼす影響と対比させたわけですが、この『21世紀の世界』では、ギリシャ世界まで遡って、「文明の中心都市」の変遷をおいかけるので、西洋の歴史が一望できて面白いです。
昨日見たNHKの「爆問学問」で建築家の西沢立衛さんという方もおっしゃっていたけど、国家というのは時代と共にどんどん変わってしまうんだけど、都市というのは国が変わっても存在し続けることが多くて、より、人々の生活の歴史が残されているといいます。
『21世紀の歴史』においても、ジャック・アタリは、世界の中心となっている都市が、どう移り変ってきたかを見ていきます。
さらに、文明を担う層として、支配者層じゃなくてクリエイター層(芸術家だけじゃなくて、新しい商売を始める起業家たちも含んでいます)を重視して、土着せずに移動していく彼らクリエイターを受け入れ育てることができた街が、中心都市として繁栄し、そうした中心都市を有する国が覇権を握る、というふうに世界を見ていきます。
私が20代の頃に流行していた浅田彰の著書によく出てきたノマド(遊牧民)という言葉がこの本の中にも使われていて懐かしかったですが、そんなふうに浅田彰の本のことをすっかり忘れ果てている自分にもちょっとビックリ。
※私が読んだのは『逃走論――スキゾ・キッズの冒険』あたりだったでしょうか。当時の本は引っ越しで処分してるんで手元になくて。もったいないことしました。単行本で持っていた村上春樹もうっかり処分しちゃったみたいで、その後文庫で買い直しました。やっぱり時々読みたくて(・・;)
私のうっすらした記憶では、『逃走論』は、
若者よ、逃げよ!逃げて逃げて、最後まで逃げ切れ!
そんなメッセージの本だったと思います。
当時はまだ終身雇用が当たり前で、転職は悪とされていた時代で(昭和の話ですから)
そんな中でも自由に生きたいと願う若者は、制度と闘うのでなくて、とにかく逃げて自由をつかめ、みたいな話だったような。
その中で、そうやって会社や地域社会や血縁関係を離れて自由に放浪する人々を、現代の遊牧民であるとして「ノマド」と呼んでいたと思います。
今、こうして書き始めたら思い出したんだけど、私、この逃走論にけっこう影響されたかも。
いくつになっても落ち着かなくて、組織に所属しなくて、組織を作ることもしたくなくて、フリーランスな感じでずっといたいと思っているところとか、意図してるわけじゃないけど、転居が多いこととか。
(転居のことを言うなら、小さい頃から転居と転校を繰り返した私は、生まれながらノマドそのもの)
…話が完全に脱線しましたが(・・;)
『逃走論』は、今手元にないので、いずれまた機会があれば読み直すことにして。
ジャック・アタリに話を戻しますが、
21世紀は、世界の多極化によって秩序が混乱し、世界の至るところで紛争が起きて、大変な混乱が起きるだろうけれども、その中から新たなノマドである「トランスヒューマン」が現れて、調和と共生をめざして新しいタイプの経済活動を始めるだろう。
そしてさまざまなテクノロジーを利用しながら、超民主主義という、国家を超えた世界全体の調和と発展をめざす民主主義が台頭するだろう。。。
というふうに、まとめちゃいますが、あまりにもざっくりまとめすぎかしら。。
これじゃあまるで船井幸雄さんの本みたいになっちゃうんだけれども。。
そのへんはみなさんがご自分で読んで判断していただくこととして(^^;、この本はとっても面白いので、IKUKOの未来の本棚において殿堂入り決定です(現時点では押し入れ殿堂入り)
実は途中難しいところは飛ばして読みましたが(・・;)、
何があろうと、最終的には国家や宗教の枠を超えて、人類みな兄弟という意識でもって、地球全体を見渡しながら生きるということが、21世紀には私たち全員にとって必要になるのは間違いないところだと思いますね。。
言うは易し。。
ローマ亡き後の地中海世界(上) / 塩野七生
3分の1ほど読みました。
ローマ帝国の発展期頃の巻のようにどんどん読み進められないんですけど、それは、およそ10年ほどの年月がたって、私自身の老化が進んで本を読む集中力が続かなくなったことに加えて、中世前期の地中海世界の様相があまりにも渾沌…というか同じことの繰り返しなためだと思います。
ヒーローが現れて、ストーリーがどんどん展開していくようになるには、十字軍の遠征を待たなくてはいけないのか…。
にしても、
西ローマ帝国の消滅後のイタリア半島を防衛線とした戦いは、はっきりと、イスラム教 Vs キリスト教の構図で、国家対国家の戦いではありませんでした。
というのも当時、国家らしい国家がまだ確立していない時期で、イタリア半島は南はイスラム、北はいろんな「蛮族」に侵略されてる状態で、イスラム側としても、民族的にも一枚板ではなかったからです。
で、この上巻には、中世前期のイスラムからの攻撃が正規軍の進攻じゃなくて「海賊」の形をとった略奪から始まった様子が書いてあります。
皇帝や王様が命令して、自ら正規軍を指揮して行う戦争だけが戦争の姿じゃなくて、海賊というような民間が行う犯罪行為を含めた、広範囲な「テロ」も戦争の中で大きなシェアを占めているかもしれないということに、日本人の私たちはあまり気づいてないかも。
日本の近代の戦争を見る限り戦争は国と国が宣戦布告しあってからやるもののように思うけど、実際には、必ずしも特定の国家が指導しなくても、宗教のような、人々のまとまりを維持できるイデオロギーがあれば、戦争はできるということも、気をつけなかればいけないことだなーと思いました。
宗教は必ずしも厳密に宗教ではなくて、文化や民族のアイデンティティの置き換わったものかもしれなくて、教義や宗教指導者によってコントロールできるとは限らないのが難しいところ。
結局は、戦争というのは人間の支配欲の発露であって、神や体制は口実に過ぎないんでしょうね。。
いずれにしても、
最近、日本の自衛隊が、地球の裏側で「海賊」と交戦していいことにしようという案が出ていて、自国の商船を守るための警護は自衛隊の役割だとは思いますが、海賊が必ずしも民間の犯罪者かどうかは微妙なところなので、犯罪摘発→テロ討伐→正規の戦争というように、なし崩しに巻き込まれていく危険性もあるということを、覚悟しておいたほうがよいかも。
ノンポリな私にしてからが、さすがに気になる昨今の世界の安全保障であります。
本屋へ行きました。(リアル本屋はひさしぶり)(^^;

(前項のつづき)やっぱ、エッジが立った人間としてはこれは買いでしょう…
なんて(^^;
基本ホラーは苦手だけど、鈴木光司さんは以前から好きです。

ご存知、塩野七生さんの、「ローマ人の物語」完結後の新作。
でも、「ローマ人の物語」はハードカバーで揃えているんだけど、途中から、どれがどれか分からなくなって読了していない私。。
実は、ローマ数字が読めないもんだから、どれが何巻か分かんないんです(-_-;)
5を過ぎてから何がなんだか…。。。
テレビドラマの「ER」も同様に、途中から分からなくなっちゃったんですよね。何重にも再放送され始めたし…(^^;
とりあえず、ローマ帝国崩壊後の地中海世界って、高校の世界史でも割愛されてる感じでさっぱりわけがわかんなかったので、これを機会にイスラムの勃興などについても多少、知識を仕入れられれば。。です。
#それにしても、flickrの写真てmixiには投稿できないんだよねぇ。手作業で補完。めんどい。。
これは面白かった!
いっぱい付箋を貼ったので、マーケットプレイスには出しません(笑) ★★★★★
最近話題のクラウドコンピューティングとかSaaSとかに関することを書いた本ではあるけれども、ネットワークの技術的な解説本ではなくて、電気の発明と発展に匹敵するような21世紀の見えざる産業革命について、社会的な影響まで視野に入れて予測した本です。
系統としては、ジャック・アタリの「21世紀の歴史」に通じる本かなと思って、読んでいました。(「21世紀の歴史」はめちゃくちゃ面白かったので、ブログでどう書いていいか分からず後回しになっています)(^^;
話を「クラウド化する世界」に戻しますが、「へぇ〜」と思うような見解がいくつもあった中で、印象的だったのは…
・インターネットの普及は異なる価値観の人を結びつける効果は少なく、かえって、同じ嗜好の人同士が結束したコミュニティをいくつも作り上げ(「小さな世界が乱立するバルカン化」、世界を分散化させ、対立を深める恐れがある。
確かに自分をふり返っても、GoogleReaderに登録してるのは好きなブロガーのブログだけで、追加するのはそれらのブログで(好意的に)取り上げられていたブログなので、結局「好き」の延長線上。
mixiやfacebookやtwitterで繋がっているのも、知人友人の中から気の合う人だけ。
(たまたま嫌いな人と繋がったらこっそり切ったりしている)
だから、私がネットで読む記事の大半は「好き」な繋がりの中で語られることだけ。
その間、私の嫌いな人々がどこで何を考えているか、そんなこと興味ないですもんね。。
というか私はそもそも、以前は日常生活の中で出会えなかったような刺激的で気の合う仲間がネットなら見つけられたから、こういう世界に入ってきたわけだし、今も、少しでも私のことを分かってもらいたい、同じ価値観を持つ人たちと繋がりたいという気持ちで、こうしてブログなど書いているわけなので、分散化だの対立だのと言われてもどうもこうもできないけれど。
まぁね〜、
ネットが普及したということは、地域や職場に縛られて一生を送るしかなかった時代から、もう少し自由度の高い空間を享受できる時代に入ったということで、これは多分、史上初の出来事なので、いろんなことが根底から変化するのも致し方なかろうと思います。
肝心なのは、変化を恐れず、常に明るい未来を希求しながら、自分にできることをせいいっぱいすることだけ。
…と、代わり映えしない、いつもと同じ結論に帰着するのでありました。。
でもこの本、面白いので買いですよ!
数年前に、もう年賀状やめちゃおうかなと思った時期があって、その時期に年賀状が減ってしまったんですが、会社設立を機会に再開することにしました。
それで、おととしの暮れ、しかたなく「宛名職人」を購入。
そしたら、名前や住所の入力もラクラクだし、なにより宛名の印刷が一瞬!(当たり前ですね…)(^^;
「こんなことならもっと早く買っておけばよかった」
これに味をしめて、翌年(今年の正月ですね)は、WEBから筆文字を購入してくださったお客さまにも年賀状を出すことにしました。
それ以前は顧客管理をしていなかったので、宛名印刷ができなかったんですよね…
で、去年は年頭からそれを意識して顧客管理をしてきたので、宛名職人へのデータのインポートはバッチリ(というより、宛名職人側のできがよくて、インポートがめちゃくちゃカンタンなんですけど。すごいですね、宛名職人…)
で、お客さんに関しては、何年も出し続けると累計で枚数が大変なことになるので、購入された最初の1年のみ出すことにしようと思っていますが、こうしてきちんと出し始めると、いただく年賀状の数も再び増えてきて、ちょっと嬉しいです。。(^^)
出したあとでちょっと後悔したのは、知人友人宛の年賀状に、ひとことメッセージを書きたかったなということですが、(もらった時に、なにかひとこと書いてあるとすごくうれしいから)、来年は忘れずに書いてみようと思います。
とっても面白く読めるんだけど、1回読んだら即マーケットプレイスな本、まとめて3冊。
「新世紀の大逆転 夜明けは日本から始まる」ラビ・バトラ
「2010年資本主義大爆裂!緊急!近未来10の予測」ラビ・バトラ
「アメリカ発2009年世界大恐慌」藤原直哉
※ラビ・バトラの本2冊にも藤原直哉さんが監訳として名前を連ねています。
ラビ・バトラ氏は、インドで生まれ、サーカー師という行者について瞑想などの修業をし、その後アメリカに渡った経済学者。経済に関するさまざまな予言をしているが、自らそれを「瞑想によって得た予言」と公言しています。
数々の予言を当てたと紹介には書いてあるけど、過去の経済を理解してない私には、何が当たったのかよく分かりません…(^^;
というか未来の予測を予言と言った時点でもう、経済学者としてどうよ?ですが(^^;
個人的に予言の類は大好きなので構わず先に進みます。。
最後まで難しい言葉は出てこないので、とても面白く読めて、その楽しさをここで紹介しようと思っていたんですが、時間がたつうちに内容を忘れてしまいました…( ̄□ ̄;)!!
かろうじて付箋をつけておいた部分があるので、紹介すると、
・トップリーダーの条件は第六感で「道」が見えること(藤原直哉)
・これから世界がめざすべきは「プラウト」社会(ラビ・バトラ)
プラウトというのはサーカー師が提唱した新しい社会のあり方で…
これも説明を写すと長くなるので、こちらのブログを参照してクダサイ(^^;
http://kmarketing.blog120.fc2.com/blog-entry-390.html
プラウトというのは、イメージ的には古き良き日本の家族的絆で結ばれた社会、みたいな感じのようで、景気が悪くなったからって間違っても派遣切りみたいなことはするなと、2000年発行の「新世紀の大逆転」で書いてくれているのを見ると、ちょっと胸が痛みます。
一方、藤原直哉さんの、第六感云々の話は、インターネット放送局でも繰り返し語っていらっしゃいますが、要は、自分のやりたいことを、良いエネルギーでもって、どんどんやりましょうという主張で、今の時代を代表する「声」と言っていいと思います。
これは何も目新しい主張ではなくて、同じことをたくさんの人が言っていますが、私は、これからの時代はひとりの教祖に大衆が群がる構図はなかなか長続きしないと思っていて、いろいろな人が、それぞれの活動できるエリアで、同じことを繰り返し、繰り返し、伝えていくのがいいと思っているので、これはこれでありだと思います。
とにかく3冊とも読みやすいので、お時間のある時に本屋さんで立ち読みしてみてください(^^;
読書の楽しみが、読み終わって顔を上げたら世界の見え方がちょっと変わってた…というような、自分のそれまでの世界観や価値観にピキッとひび割れが生じる時のめくるめく快感にあるとすれば、この本はまさにそれ。
帯のコピー
「生命の基本仕様、それは女である」
がすべてをひとことで言いきっているんですが、生物学的に見ると、すべての人間の受精卵は女性として生まれついているという話です。
みなさん知ってました?
私たち全員、女の子からできてるんだって。
私は初めて知りましたよ〜。
受精卵は最初はみんな同じ女の胎児として分化してきて、Y染色体を持つ胎児のみ、途中で女性を男性に作り替えるという信じられないような肉体改造が行われ(おかあさんの胎内で、です)、ようやく男の子として生まることができる。
そういう改造に使われるテストステロンなどのホルモンには、免疫システムを抑制する性質があったりとか、要するに後天的に作り替えた肉体には無理があるらしく、男性の肉体は長持ちしない。世界中どの国でも平均寿命は女性のほうが長い。
その他、さまざまな例を引きながら、男性という性の存在意義は、母親の遺伝子を別の女性に届けるための橋渡しをする役割に過ぎないと言いきっています。
私は長年に渡って(主に元夫の観察を通して)、なぜ男性はこうももろくて、精神的に虚弱で、存在が不確かなんだろう?と疑問に思っていたんですが、積年の疑問が溶けました。
わずかなホルモンで肉体が変化しただけで、生物学的にも存在が不確かだからなんですね(いいのか、こんな理解で)(^^;
そう思ってテレビを見ると、テレビでわーわー騒いでる政治家や経済学者が、なんか可愛く見えてきます。
考えてみれば、亡者のようにおカネ儲けに走る人も、そしてコケる人も大部分が男性。
大企業のトップは男性、大企業を潰すのも男性。暴動を起こすのも、それを鎮圧するのも男性。戦争を起こすのも戦争に駆り出されて死ぬのも男性…だけでは済まないのが現代の戦争の困ったところです。
遺伝子を子孫に残したい女性としては、自分や子どもまで巻き込まれて命を落とすことがないように、暴走する(不安定な)男性のタズナを締めることが大切ですね。。。
…と、この本を読んで私はそういう結論に至ったんですが、受け取り方にマズイ部分があるでしょうか…。